2013年2月18日月曜日
神の土地イスラエル
この映像は去年の暮れに"B'Tselem"と言うNGOに支援されたパレスチナ人によって撮られた、パレスチナ内に建てられているイスラエル人入植地に住むイスラエル人入植者が近隣のパレスチナ人農家が所有する土地で作物を育てる(『育てたい』などと言うお願いではなく、一方的な決定)と言う事をパレスチナ人農家に伝えている映像なんですが、根拠がホンマに笑ってしまう程、無茶苦茶なんです。。。。
このイスラエル人入植者は、イスラエルはユダヤの神がユダヤ人に与えた土地だから、俺はここで作物を育てる。でも、君らも育てたいと言うなら俺も鬼やない。
こうしよう、この土地の半分で俺は作物を育てるから残りの半分は君らが自由に何でも育てたらいいじゃないか。これは平和的で紳士的な意見だろ?ええね?え〜ほんなら、あそこからここまで半分が俺で〜.......
いやいやいや。。。もう呆れてまう。世界中のまともな感覚をもった人すべてがビックリです。
何度もパレスチナ人農夫が、この土地は父親からもらった俺の土地で作物を育てたいなら勝手にあんたの国で育てればいい。と言うのですが、このイスラエル人ミラクル思想入植者は何故か、分からず屋のパレスチナ人やな〜的な感じで『いやいやいや、だから何回言えば分かるの?この土地はユダヤの土地や・か・ら、俺はここで作物育てるの。あんたも土地の半分使わしたる言うてるやんっ!!わからんかな〜』の一点張り。
こいつマジかっ!!と思うけど、こいつマジです。それが一番怖い。
そして、もっと怖いのはそれをこの国は後押ししている部分もあると言う事。
この入植者の柔らかい口調で、あなたの話も聞いてますよ〜一方的やないですよ〜でも、私の意見が正しいですよ〜的な話し方は本当によく腹黒いイスラエル人が自分の要求を突き通す時に使う話し方なんですが(僕の経験上)僕はこういう人、大っ嫌い!!猫かぶるにも程があるわ。
まあ、もちろんこんな気持ちの悪い奴らがいるだけが、イスラエルでは無いんですがw
一応言うとかんとね、一応ね。
あ〜気持ちワルっ!!えんがチョ!!
So
2013年2月10日日曜日
ああ、しとけば良かったとは思いたない。
僕にはお亡くなりなってから知り、心を掴まれた歌手が二人います。
それは、河島英五とマイケル・ジャクソンの二人です。
河島英五の”酒と泪と男と女”とマイケル・ジャクソンの"Heal the World"の二曲にはかなり思い入れがあります。
そして、アホな僕は何で生きてる間にコンサートに行かへんかったんやろ.........
何て、生きてる時は興味なかったのに今更マジで後悔すると言う、意味不明な事を思ってしまうんです。
河島英五の曲では、河島英五が大阪出身だと言う事もあり、大阪の男と言うものを学びました。男らしくいる事、おもろくいる事、無茶苦茶でいる事が大阪の男。すべての感情に素直でそれを受け止めてくれる大阪の土地と女。最高ですっ!!
マイケルの曲では、と言うかマイケルには見とれてしまうwwwホンマにライブのパフォーマンスにはほれぼれして心を奪われてしまうんです、もっすげー!!!ってww
まあ、YouTubeですけども......。
せやから"Heal the World"の様な一見、”こんなん優しい顔して見るしかないやんっ!!もう、ええてっ。”と邪悪な心を持つ僕は思ってしまいがちな歌詞でも、”もっすげー!!!”マイケルが唄うと素直に聞き入っちゃうし”ホンマ、歌詞にある様な生き方せなあかんな.....。”って心から思える。(Make it a better place for you and for me And for entire human race. アナタの為にも、僕の為にも、全人類の為にも、良い場所(世界)にしよう。 )
ホンマはみんなこう言う生き方したら幸せになれる事は頭では分かってるんだけど、人間社会ってのはそうは行かせない一面を持っているのも現実。
せやから良い世界になる事を個人やコミュニティーが夢に思う事は出来ても、その夢を現実的に全世界が共有する事は悲しいかなできないのかも知れない。
だけど、そんな自分の心が擦れて行くのが分かるほど腐った現実に陥って、自分の事で精一杯で他人の事なんてちっとも感じ取れない事があっても、マイケルを見ると”まあ、でもちょっと自分なりに頑張ってみようかなっ”と一瞬ちょっと思える。
一瞬で消える想いであっても、”一瞬だけでも思えた事”が僕には大きい意味を持つ時があるんです。
僕は自分が今出来る事を精一杯やって地球や日本に貢献したいと思っているんですが、やっぱり経験値の少ない僕は無責任な感情を押さえる事が出来ない事もあります。
そんな時に一瞬でもスタート地点を照らしてくれる河島英五とマイケル・ジャクソンは僕のヒーローなんです。
腐ったモンを食らっても腐ったモンを又、他の人にパスしない。
改心してからは、恐らく守れてると思います......多分??
そして、自分の人生における行動に関して言えば今の所、ああしとけば良かったと思う事はありませんっ!!
So
ではっ!!
生まれは大阪・東大阪市っ、男に生まれて男を唄う。
大阪が生んだ”まことの男っ!!”唄ってもらいましょうっ河島英五でっ『酒と泪と男と女』!!
(歌謡ショー風)
生まれはメリケン・インディアナ州っ、黒人に生まれてなぜか白人風。
アメリカが生んだ"スーパー・ピーターパンっ!!"唄ってもらいましょっマイケル・ジャクソンでっ『Heal the World』!!
マイケルのこう言うとこも好きやわ〜☆
2013年1月1日火曜日
2012年、最後の作品
『空 kuu』
と言う様な事を、雑誌編集者の友人に説明すると
『つまり、ある歌を聞いた時、厳密に言えば人はそれぞれ違う感じ方をするし、作り手が込めた思いをすべて汲み取れるわけではないけど、歌のモチーフとなった事柄のぼんやりとした輪郭を多くの人は共有している。て言う事?』
と、さっと綺麗にしてくれました。
厳密には共有は存在しないと言うのが僕の意見ではありますが、この友人の説明の方が完全にキレイですな、と思いますw
まさかの出来事に打ちのめされている、ここ最近ですがディプレスはアートには栄養だと言う事を仲間と呟きながら生きております。。。。
2012年を振り返りますと、夏に二度目の瞑想合宿的なモンに行って来たんですが、一回目の合宿の時の様な衝撃もなく一週間だんまりを決め込んで瞑想に集中することが出来ました。
そこで僕は何か『分かっちゃった』感が凄くて大勢で瞑想する意味とセミナーを聞く意味、全体から醸し出されるスピリチュアル感の意味の無さを相当感じました。
瞑想は凄くいいモノだと思うんですが、今あるスピリチュアルと言うモノのもろさを感じてしまいました。
と言うのは、スピリチュアルと言う言葉が一人歩きして宗教の様な存在になってしまっている様に思え、苦しみながら苦しみに立ち向かう個人の勇気と想像力と言う人間力を育てさせないんじゃない?何て僕は思っています。
『分かっちゃった』と言うのは僕の中の瞑想やスピリチュアルと言うモノに対するものであり、誰かの中の瞑想やスピリチュアルとは違うと思うので、あくまで個人の感想と言う事でww
誰かに、どこかにと他力に頼るのではなく、どこでだって自分を理解する事ができるじゃないか、そこに苦しみはあって当たり前の事だと僕は思う。
そうじゃないと本当の自分と言う意味不明な存在を理解できるワケがない。てかっw
2013年どうなるかな〜ww
So
人は、たとえ同じ時間・同じ空間にいて、同じ何かを経験しても完全に共有できている真実はなく、それぞれの人間が持つ価値観や過去の経験や脳の自然的に発せられる感覚などで作り出された結果としての情報(真実)しかそこには存在していなくて、共有とは同じ意識下にいる人が形のない情報の概要部を一定方向性の強い形にして理解し、再構築している”結果”それが共有と呼ばれる存在になっているのではないだろうか?
この作品では、特定多数の日本に住む友人に空を撮ってもらい、
撮影者が存在する空間と時間の中で撮られた日本の空をカメラ→パソコン→インターネット→パソコン→プロジェクターと言うデジタル機器を通して繋ぎ合わされた情報(空の映像)としてイスラエルにある建物の天井に写し出しました。
撮影者が存在する空間と時間の中で撮られた日本の空をカメラ→パソコン→インターネット→パソコン→プロジェクターと言うデジタル機器を通して繋ぎ合わされた情報(空の映像)としてイスラエルにある建物の天井に写し出しました。
デジタル機器を通して黒い箱の小さな穴から(大地から目出る生命のイメージ)撮影者が撮影した映像の元にある時間と空間の情報は100%共有する事は出来ないが、情報として再分割されプロジェクターから飛び出し天井に結果として写し出される迄の間に漂っている形のない情報(映像)は人が共有と呼ぶ情報を表し共有と言う存在の不確定さを表しています。
と言う様な事を、雑誌編集者の友人に説明すると
『つまり、ある歌を聞いた時、厳密に言えば人はそれぞれ違う感じ方をするし、作り手が込めた思いをすべて汲み取れるわけではないけど、歌のモチーフとなった事柄のぼんやりとした輪郭を多くの人は共有している。て言う事?』
と、さっと綺麗にしてくれました。
厳密には共有は存在しないと言うのが僕の意見ではありますが、この友人の説明の方が完全にキレイですな、と思いますw
まさかの出来事に打ちのめされている、ここ最近ですがディプレスはアートには栄養だと言う事を仲間と呟きながら生きております。。。。
2012年を振り返りますと、夏に二度目の瞑想合宿的なモンに行って来たんですが、一回目の合宿の時の様な衝撃もなく一週間だんまりを決め込んで瞑想に集中することが出来ました。
そこで僕は何か『分かっちゃった』感が凄くて大勢で瞑想する意味とセミナーを聞く意味、全体から醸し出されるスピリチュアル感の意味の無さを相当感じました。
瞑想は凄くいいモノだと思うんですが、今あるスピリチュアルと言うモノのもろさを感じてしまいました。
と言うのは、スピリチュアルと言う言葉が一人歩きして宗教の様な存在になってしまっている様に思え、苦しみながら苦しみに立ち向かう個人の勇気と想像力と言う人間力を育てさせないんじゃない?何て僕は思っています。
『分かっちゃった』と言うのは僕の中の瞑想やスピリチュアルと言うモノに対するものであり、誰かの中の瞑想やスピリチュアルとは違うと思うので、あくまで個人の感想と言う事でww
誰かに、どこかにと他力に頼るのではなく、どこでだって自分を理解する事ができるじゃないか、そこに苦しみはあって当たり前の事だと僕は思う。
そうじゃないと本当の自分と言う意味不明な存在を理解できるワケがない。てかっw
2013年どうなるかな〜ww
So
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