2012年2月6日月曜日

日本との大きな違い。 バス編。



僕が通っているベツァレル美術学院では、現在テスト期間真っ最中でございます。

大学生活も初めて大学的な試験も初めて、しかも昨日の西洋哲学の試験はレポートを課題が出てから一日以内に出さなアカンと言う、胸を張って若葉マークくんな僕にはどう言うレポートを出せばいいのか分からない。。。。
と言う状態でしたが、どうにか昨夜2時頃書き終わり無事提出致しましたww これがあと二回もあるかと思うと『何でやねん』っても思ってしまう勉強嫌いマンの僕です。。。。


そんな昨日、学校に行くバスの中でこんな事がありました。

その日の朝、僕はさっぱりしてから学校に行きたいと思いシャワーを浴びてからバス停に向かいました。シャワーを浴びたせいでいつもより少し遅くバス停に着きバスを待つんですが、中々バスが来ない5分、10分......来へんがなっ!! 遅れてまうがなっ!! 何て言う茶目っ気も出て来ますが、ここはイスラエルまゃ〜時間通りにバスは来ないっ!!

そんなこんなで、バスが来たのが9時30分頃。

学校までは朝の渋滞で30分は掛かってしまう....遅刻かぁ。何て思いながらバスにゆられる事10分程度、すると何だかバスの中が騒がしくなって来た。

なんやねんっ喧しいなぁ。と何を話してるのか耳を傾けてみると1人のイスラエル人男性が顔を引きつらせながら周りの乗客に、こう聞き回っていた。


『この鞄あなたの?』
バスの隅に置かれた旅行バックを指差しながら聞いている。

男性に聞かれた周りの乗客も誰の鞄なのか分からないと言い、周りを見渡しながら不安な顔している。
不安が伝染し騒がしくなる車内。
そして、乗客の1人が運転手に事情を説明すると運転手もミラー越しに一瞬にして顔が凍り付いた。


なぜ、イスラエル人がこんな事でここまで不安にさせられるのかと言うと、それはテロの恐怖の日々が未だに拭い切れないでいるからである。

イスラエルがパレスチナに築いたあの悪名高い分離壁が出来る以前は、イスラエル国内でのパレスチナ側からの攻撃が多発しており、その中でもバス内での自爆攻撃は多かった。

そして、6月にイスラエルがイランの核施設に対して攻撃を加えると言う報道が前日にあったばかりだったので(イラン攻撃説はもう何年も言われて来ているので平時のイスラエル国民にとって今更驚くことでもないのだけど。)それが少し引っかかってしまった。

結論を言うと、バスの運転手はすぐにバスを止めて車内アナウンスで鞄の持ち主がいないかをアナウンスすると、バスの後ろの方に座っていた韓国人のおばちゃんがヒョコッと出て来て『私のですっ、ははははっ邪魔でしたっ?』と笑ったので若干、場の雰囲気は和んだんだけど、始めに顔を引きつらせながら鞄の持ち主を捜してた男性はおばちゃんを本気で睨んでいたのを見て、今更ながら僕は外国に住んでるんやな何て思いました。

でも、ほんまに爆弾じゃなくてよかった。

時として、イスラエルではこのような場面に出会う事がある、これは他の世界では中々ない事で、ない方がいい。
憎しみは恐怖から生まれる事もあると言う事を肌で感じた瞬間だった。

普通と言う事がどれだけ平和な証拠だろうか。


So matsuzawa

2012年2月1日水曜日

日本との大きな違い。 意識編。



海外で生活して思うのは、日本より遥かにっ!も〜遥かに権利についてしっかり考えていて、もし自分の権利や自分の思想に関する権利が侵されている場合もしくは、侵されそうになった場合にもの凄く権利を主張し戦う姿勢を見せていると言う事を肌で感じる。



その相手が自分の親であろうとボスであろうと国家であろうと関係なく、社会を構成する一個人として立ち上がる。そして、その考えに賛同する人が集まりアクションを大きくして行き『自分達の権利』と言う最終目標に向かって歩んでいる。



アクションを起こす人達は至って普通の一般人であって活動家だけではない、そしてアクションを起こす事に恥じらい何てものはこれっぽっちもない。『だって自分が住んでる場所をより良い場所に変える為にアクションを起こすのは当たり前でしょ??』そう、全くその通りである。そして、たとえアクションを起こさない人でもアクションを起こす事、事態には賛成である。



東の果てにある日本と言う国は、まだまだアクションを起こす事に慣れていないし批判的に見る人が多い。日本はいつまでも安泰だ何て全く見当違いもいい所だと僕は思う、このまま行けば全てにおいて中国に抜かれるだろうし日本ブランドの価値も他のアジア圏の国に意向するだろう。実際、世界は昔の様に日本を見ていない。世界の中でアジアは中国だと見られている。



日本の成長はここで終わりなのか?成長とは経済面だけなのだろうか?いや、絶対にそうではない国家は経済によって成り立っているのでは決してない!!
国家とは人の集合体を守る存在であるだけではなく、その土地、関係する全ての生き物をも守る必要があるのではないか?
しかし、日本の様に国家主導の保全方法では経済面に影響のある事には手を出さない。



では、どうするか?



社会を構成する僕たち市民が自分達の権利として主張すればいいのではないでしょうか?
権利を主張する事は全く恥ずかしい事でも何でもないんです。



マラドーナの神の手事件で、ハンドを抗議したイングランドの選手達をイングランドサポーターは『恥ずかしい奴』だ何て1人も思っていないはずです。



もちろん、サッカーと現実世界は違います。しかし、サッカーにもイミテーションをして偽の権利を得ようとする選手もいる様に、現実世界にもとても悲しい事ですが、日本にもそう言う人がいる事がありますし世界にもいます。



そう言う輩は悪です。完全なる悪人です。



しかし、アクションを起こす人=そう言う人。では全くありません。大多数の人は全くのボランティアです。自分の時間を使いアクションを起こしているのです。
それを、恥ずかしい、強欲などと始めから決めつける事こそが、僕はとても恥ずかしいと思う。



意識改革が今日本で何よりも一番大切な事だと僕は思う。



世界の一部であり、地球に住んでいる事を再確認し、共に生きる為にはどうするかと言う事を真剣に考えなければならない。






ふ〜〜。
前置きがエラい長くなってしまいましたが、僕が今回書きたかった事は『動物実験』と言う事実です。



日本の女性がほぼ100%使用している化粧品。日本人がほぼ100%が使用した事がある医薬品。その他人体に使用する多くの科学薬品の開発過程の中に『動物実験』と言う、到底その行為を見てしまえばその商品に手を伸ばさないだろうと言う様な行為が成されています。



内容ついては下記のリンクを参照してください。言葉のみでの説明になっていますので、怖がらずに見て頂きたいと思います。
Animal Rights Center Japan  動物実験はいらない『動物実験とは?』



ヨーロッパでは、動物実験禁止と共に動物実験が行われた原料を配合する化粧品のEU域内での販売(流通)を1998年1月1日以降禁止する」という化粧品指令第6次改正(93/35/EEC)を採用して、他国で動物実験をした製品も閉め出す体制を取っています。




そして、動物実験をしていない科学薬品を使用しているヨーロッパ人は問題もなく生活しています。彼らは動物実験の意味の無さを文字通り知っています。




僕はこの現実を出来るだけ多くの人とシェアして頂きたいと思っています。




僕たち人間の健康の為、美容の為の前段階で惨い死に方をしなければならない動物達がいる事実を認識してもう一度考え直して頂きたい。


どうか、どうか、お願いします。






          動物実験をしていない商品を示すマーク。






僕の住むイスラエルでもこのマークは一般的で、これを基準に僕もシャンプーや歯磨き粉などを買っています。




日本でこのマークが当たり前になる日を共に作りましょうwww










久々に長文を書いたので疲れました><
そして、ここまで読んで頂いた方には本当に感謝です。








ありがとう!!


So matsuzawa