2011年4月8日金曜日

悲しいこと。

先日、友人が故郷の宮城県と福島県へ支援物資を届けた際に、体験した話を聞かせてくれました。
話の内容は被災者の心情が直接僕の心に届く様な大変ショックな話でした。

友人は福島県と県境の宮城県の街出身で、故郷の宮城県と隣町の福島県の街へ東京から支援物資を届けに向かいました。

宮城県の避難所へ支援物資を届けた後に福島県側の避難所へ向かい、そこで街の教育長さんと出会いある小学生の話を聞いたそうです。

“震災の被害が大きく小学校がいつ再開されるか分からない状況にある被災地で暮らすある家族の小学生になる子どもが、横浜の親戚を頼りに横浜の小学校へ転校して行ったのですが、そこで待っていたのは安らぎではなく同級生からの『いじめ』でした。

同級生達は福島から転校して来たこの子に対して『放射能!!放射能!!』とからかい始め、やがて福島から来た小学生はいじめに耐えきれず心に新たな傷を作り福島へ戻って来たそうです。”

僕は福島の小学生の悔しさや悲しさや憤りを思うと本当に心が締め付けられる様な思いになりました。
何でこんなにも人は相手の身になってやれないんだろうか?
子どもだから仕方がないと誰かは言うかも知れない、だけど子どもは何をしても良いと言う存在ではない。
子どもだからこそ思いやる気持ちを尊重しなければならないんじゃないだろうか?

小学生の頃の僕は子どもと言う立場を使って色々と悪さをしたし嘘もついた。
子どもは正直と言うが、正直に言ってもあんまり咎められないという無責任さがそうさせているだけだと言い方は悪いけど、僕はそう思っている。

福島から来た転校生をからかった今回の件だけを問題化するのではなく、人の身になって物事を考えると言う教育に力を入れなければならないと僕は強く思う。

ここイスラエルやパレスチナでは、この人の身になって考えると言う考え方が皆無に近い。
その為に批判し合っているこの状況は好転せずに同じ事を繰り返している。

人の身になると言う事は思いやる事とは違い、自分の持っている感情や物を時として投げ捨てなければならない、それはとても勇気のいることで躊躇してしまうだろう。
だけど、本当に平和を望むなら投げ捨てる勇気は何よりも必要である。
人の身になると言うは自分の勇気を確かめる事でもあると僕は思う。

福島の小学生がこの一ヶ月で経験した事は大きな心の傷になるだろう。
友人が出会った福島の教育長が話の最後に”今必要なのは癒しの時間だ”と言ったそうです。
心の傷はひと時の癒しの時間では消えないけど、ひと時でも心の傷を埋める癒しの時間が被災地に届けられる様になればと僕は強く思いますし、僕のできる協力はして行きたいと思っています。

この話をしてくれた僕の友人は今、癒しをどう届ける事ができるかと模索しています。
多くの人が集まり協力し合えれば必ず何か形になります。何か良いアイディアや”私はこれができるよ” 何て言う声があれば、お知ら頂ければと思っています。

被災地に癒しの時間を届けましょう!!



祈りよりも行動を!!
So matsuzawa
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