2010年4月25日日曜日

死海へ行って来ました。本編


死海は世界で一番低い場所(−418m)にあるって知っていました?

実は僕イスラエルに来るまで聞いた事あるけど全く知らん場所だったし、それがイスラエルにある何て全然知らなかったんです。

こっちに住んでから今回が2回目で死

海でキャンプをするのは初めてだった

のでテンションは前日より上がってお

り朝から若干飛ばし気味で死海に着いた昼頃には少し疲れも見えて来ていましたが、死海を目

の前にするともう『浮いてやろうじゃないですか』状態突入。

しかし、テントの準備をしなくては、、、、、。ビシビシ照りつける太陽の下テントを組み立

て始めるがこのテントが地獄でした。全く誰も建て方が良くわからないと言う強者。

何本かの各駅面倒くさい電車の投げ出してしまえ駅に降りてやろうかと思うが、どうにかやり

過ごし無事にテント完成。

しかし、死海のカラカラカチンコチンの大地がテントのペグを拒否した時点で途中下車決行。

絶対に目には死海の水が入らない様に注意しながら入水そして身体が尋常じゃないほど浮き、

そのままひたすら浮き続け前回来た時に発見した死海の泥が湧き出る場所に、目に水が入らな

い様に深い位置で平泳ぎ(完全に足は浮いているので使わない)で移動し泥を塗りたくり。

待つ、、、、アラブ系イスラエル人の子供に絡まれ少し話し、また待つ。

死海にゆっくり入り泥を落とすと、、、、、、嗚呼嗚呼ああり得ない程のスベスベ感!!!!

奥さん、これは凄いですよ!! テュルテュルです!!!

とまあテンションも上がりきり、持って来たうどんを食べ終えた頃には熱さにやられたらしく

激しい頭痛に襲われダウン。。。。みなさん水は飲みたくなくても飲みましょう!そして帽子

もしっかりかぶりましょう!!

運良く翌朝にはよくなり、翌日もう一つの国立公園へ行きお家に帰ってきましたとさ。

あとから聞いたら僕たちが死海に行った日の気温が40度だったらしい。
(キャンプの場所は En gedi-http://en.wikipedia.org/wiki/Ein_Gedi バスで行くならエルサレムのバスステーションから一時間半ぐらい、キャンプは無料で近くにトイレと水シャワー完備です。あとキオスクもあります。)






 

2010年4月20日火曜日

死海に行って来たんだよ。part 1



 











連休を利用して死海キャンプへ行って参りました。http://ja.wikipedia.org/wiki/死海
死海へ行く途中に国立公園がありせっかく近くにあるならと寄り道する事に、そこにはやたら大きな岩と岩肌に点々とある小さな洞窟が小さな川を挟んであり、川下には魚と共に泳げるプールがぽつんとあるような所でした。

今シーズン初泳ぎは見知らぬ山の魚と泳げる深さ2・5m長さ10m程の謎のプール。

始めは微妙に深いプールと水の水質に少し戸惑い、

水際に立って見て次に思ったのは、
『魚くんよ僕に噛み付いて来りはしないよね?』

別に入らなくても良かったんだろうけど、もう入らなければならない空気に自分で持ち込んでおり入らないないと言う選択肢は既に僕にはなく謎のプールに一人で入ると言う行動をどう僕自身にGOサインを出すかを考えた結果、考え込んではもうこのプールに入る事が出来なくなると言う勢い任せに頼ることに。



異様に冷たい水を身体に掛け、心臓への思いやりを見せつつ自分に勢いをつける。


水が身体に馴染むのを待つと見せかけて少し迷ってみる。


恐怖心や疑心と言う物は案外通り過ぎるのが早く、一度通り過ぎてしまえば何だっけ?と思ってしまう程容易い心の変化だったりする事が多いんだけど。

今回も完全にそれでした。www

水に入って少し深さに驚いたものの数回プールを往復した後には楽しさと快適さが待っているだけでした。もちろん魚くんが僕を攻撃する事はありませんでした。

次回は死海編。








2010年4月16日金曜日

目覚めの良い朝。

 写真を2週間以上全く撮っていなくて、写真に関する事も全く行動に移していませんでした。
写真が嫌いになった訳でもなく、ただカメラを持つ気になれなかった。
焦りも不安も全く感じない静かな毎日を過ごし頭の中は殆ど空っぽで、まだ静かな朝の中に目を覚まし洗面台で顔を洗い歯を磨き1時間ほど目を瞑り、ゆっくり動き庭で育てている野菜と花にゆっくり水をやり家に戻って軽い朝食を食べその日の気分で場所を変えつつ「世界の終わりとハードボイルド・ワンダランド」をゆっくり読む。
昼前にもう一度庭に出て新しい畑を耕したり雑草を抜いたりしながら過ごし昼食のスープを2杯飲みまた「世界の終わりとハードボイルド・ワンダランド」の世界にもどり日が沈む。
日が沈んで2時間もすれば寝支度をして目を瞑りそして目を閉じる。

一生続いて欲しいとも思わない生活のサイクルだけど嫌いじゃない生活、そして身体と頭にいい生活。

だけどやっぱり一生続いて欲しいと思わない生活。

それは多分、この生活での僕が受信機だから。やっぱり僕は送信機でありたいとどこかで思っている、それには勇気と経験と知識そして多少の欲がいる。

 夢の中で僕は写真を撮っていた、久しく見ていない夢だった。

今日はいつもより早く起き外を見て一分も経たないうちにカメラを持って外に出た。

明日もこんな気持ちで起きれたら毎日がすばらしい日になるやろう、だけど明日は誰にも分らないだからもう気にする事はやめた、明日の為に今の気持ちを浪費させたくないから。

So

2010年4月13日火曜日

基本と経験と訓練  ディパサナ瞑想の旅



混沌とした頭の中と意識のない身体とは全く合致しない。

そんな奇妙な感覚が違和感となり、その違和感を違和感としか理解できない僕の歩み。

苛立を生み、自信が滑稽なものに見えて来て『一体僕はどうしたいんだ?』何て疑問の服を着た不安が足早に頭の中を駆け巡り、そしてまた足早に駆け戻ってくる。

どうしていいか分らない僕、どうにでもなれと言う僕。

弱い自分、強い自分。

それが反復横跳びの様に往っては戻りまた往っては戻る。

自分の中に自分がない自分、動きの中に静けさのない動き。

自分の事を自分が一番知っているようで、自分が一番自分を知らないような気が、ずっとしていた。

そして何か大きな欠片が足りないような。

切っ掛けは突然やって来て、僕は小川を流れる笹舟のように流れてゆき、水の流れのない小さなそして静かな場所に連れて往った。

そこでは駆ける事も反復横跳びをする事もできない、ただ目を瞑り全身の細胞を静め来るモノを拒まず、そして去るモノも追わず。

創造も破壊もしない今の自分に気付く時間そして感じる時間。

始めは静に気付き感じとれる身体にする為に時間を使い、静に気付き感じ始め、自分の中からどろどろとした意識や念が出始め心が乱れるが頭は使わずただ目を瞑る、

雨雲の切れ目から太陽の光が射し込み瞬く間に雨雲が消えてしまう、その光は神でも答えでも何でもなくそこに居たのは絡まった糸を解し現在の場所を再確認した僕だった。

まだ混沌としている部分はある、だけど今は頭と身体は合致している気がしている。

今僕がしたい事はしなくちゃいけない事ではない、したい事は何にも束縛される事のない自由な時間でありそれを気付き感じて考えて行動に移すだけだと僕は再確認した。

あの先は誰にも見えないし誰にも分らない、だから基本を忘れず経験を積み訓練して行くんやな。

そう思うと僕の乗った笹船は静かに海を目指して走り出した気がする。

みんなありがとう。