2011年6月29日水曜日

新しい生活と僕の思い。

昨日から僕はエルサレムの寿司レストランで働き始めました。

僕の時給はイスラエル人が働く相場と同じ時給27NIS(約680円)。

カウンターでは中国人が寿司を握り、厨房では他の中国人が麺類など料理を調理してエチオピア人が皿を洗っている。皆英語もヘブライ語も辿々しい程にしか話せない。

そして彼らの時給は21NIS(約520円)週6日で労働時間は、まだハッキリは分からないけど僕が来るより先にいて、僕が帰る頃にもまだ働いている。

普通のイスラエル人がめんどくさがる事も嫌がる事も、仕事と割り切って黙々と仕事をする彼らの仕事は本当にプロだと思う。

ウェイターのイスラル人の給料は時給25NIS(約600円)+チップで合わせると時給30〜60NISにはなるが、宿題の多いイスラエルの学生は働く時間をあまり裂けないないので日本と比べると月給は遥かに少なくなる。







『だって中国人やエチオピア人は中国より給料良いんだからいいだろ?』
『仕事あるだけましだろ?』

これがイスラエルのレストランの常識でイスラエル人の考える平等。


僕はこの現実を見て思う事は、イスラエル人経営者に対する怒りの気持ちではなく、こう言う事実がイスラエルだけではなく直接的に又、間接的に世界中のどこにでもありふれている事に対して悲しく思い、この社会の構成員でいる自分に対しての責任を重く感じている。







僕の自由は誰かから奪っている自由ではないのか?







そう言うとドラマティック過ぎると言われるかもしれないけど、実際はそうなのかもしれないと言う思いはいつも僕の心にドシッと存在して、今回のように時折顔を出して来て僕に投げかけて来る。

『自由』と言う言葉は自分の好きな事をすると言うだけではなく、社会を構成する限り僕たちには社会に対して疑問を持ち、責任を持ち疑問に対して挑戦する事も自由と言う意味の大きな要素なのではないだろうか?


今僕には力がないしお金もない、だけど僕には責任がある。
生きると言う責任、共に暮らすと言う責任がある。

今はないがこれから学び社会に挑戦して行きたい。

僕にとって生きると言う事は伝える事だと思う。



何も変えられないかもしれない。
誰も聞いてくれないかもしれない。


だけど僕は僕と仲間を信じて挑戦する。


助けてくれている仲間と家族には本当に感謝しています。

ありがとう。


こんな夢男ちゃんな日記で申し訳ないです。
すぐには何も解決できない僕だけど、未来を変える一つの要素になる為に努力したいと思っておりますのでご勘弁ください。



もう一回ありがとう!!
So
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