2012年6月17日日曜日
入植地。パートいち。
みなさん。
暑いですね。もう暑いったらないですね。
先日、日本の友人に僕の家は石作りでいくら外が暑くたって中はヒンヤリしてて、去年の夏は扇風機すら使わんかったで!!何て事を言ってやりました。
が、昨夜は風のない熱帯夜だったこともあり、寝苦しいったらありゃしない。
『地球ってこんなに空気薄かったっけ?』
『ねえおじいさん教えてよ?』
『アルムの森の木教えてよ?』
『ららららら〜。』
とまあ返事もないので水シャワーを2度浴びやっと眠りに着きましたとさ。
『ねえ!!夏ってこんなに暑かったっけ!!』
アホの僕は毎年思っています。。。。。
とまあ、暑さに文句をつけたくなる季節ですが、昨日の僕はマジメにジャーナリズムに従事して参りました。
というのも、先々日に仲間のベルギー人ジャーナリストから『明日パレスチナ内にあるイスラエル人の入植地の取材でOOと言う入植地に行く事になったんだけどSO明日よかったらカメラマンとして来てくれないか??』と言うオファーを頂きました。
二つ返事で僕は『ええよ行くわ。』と返事し、学校終わりにそのままパレスチナの暫定首都である”ラマッラ”にある仲間の住む家へと向かいました。
現在パレスチナのラマッラでは至る所でマンションや多目的ビルなどの建物の工事が行われており、また街の中心では多くの商店が立ち並び ”アラブ的な今時” な若者達や家族連れでとても賑やかな街の表情があり、恐らくみなさんの思うパレスチナのイメージとはかなり違う表情を見せています。
そして、唯一パレスチナ人だけで構成されている大都市でもあり、イスラエル内にあるイスラエル人も立ち寄れるアラブ人街とは全く違う雰囲気を思っていて、イスラエルを地元としている僕は少し海外にでも来た様な気持ちになってしまいます。
とまあ、エルサレムのアラブ人街からバスに乗り途中イスラエルのチェックポイントを通りながら約40分程でラマッラに着き、家の場所を聞く為に仲間に電話をしてみました。
僕『着いたよ、家どこ?』
ヤン『今ご飯作ってるからタクシーで来てよ10シェケル(約250円)位やから。家はOOOO・ホテルの近くでこのホテルは皆知ってるからすぐ分かるわ。』
僕『待って!!何て言うホテルの名前??マザンビーク・ホテル??』
何故僕が分からなかったかと言うと、彼の英語のアクセントがもうエゲツナイ程きつく全く分からない時があり、大事なホテル名がその全く分からんアクセントの時にガッツリ当たってしまったのだ。。。。
ヤン『モザンビークじゃないよ、OOOOだよ』
僕『え?ごめんヤン、全然分からん。もう一回言うて。』
このやり取りが5・6回続き、それでも理解し得ない僕らでしたが、ヤンが突然!!
ヤン『M・O・V・A・M B・I・T・C・H ホテル』とアルファベットでの説明をしてきたのです!!
僕は何で最初から僕らはこの方法を取らなかったのか?と自分のアホさを笑いながら復唱し、ビッチって無茶苦茶な名前やなと思いながらも黄色一色で塗り固められたパレスチナタクシーを止めドライバーに『モバム・ビッチホテルまでお願いします。』と告げ、10分程で中々大きく派手にライトアップされたモバム・ビッチホテルに着き、僕はホテルの全体を見ようと正面に周り建物を見上げるとそこには。。。。。。
モベン・ピック........................
全然ちゃいますやん!! ビッチちゃいますやん!!
.........................................................と、言う事があったんやて。
ちなみにこのホテルでは最高の思い出を作れるウエディング・パティーや友達を見つけれるバーや最高のイタリアン料理が味わえるそうです。
とまあ、仲間の家に着くとまあ家がデカイ。
家には数人の若手ジャーナリストや活動家が住みパレスチナを守る活動をしており、家の家賃はパレスチナを支援するヨーロッパのウェブサイトが得た寄付金から支払われ、その代わりに彼らはウェブサイトが求める取材などをしてギブ&テイクによって成り立っている。
ヨーロッパやアメリカではパレスチナ問題は大きく取り上げられ、活動家やジャーナリストがエルサレムやパレスチナにわんさかいる。そして、ほぼ100%は何かしらの団体に所属してイスラエルに対しての抗議活動などをしている。その活動費は所属する団体が得た寄付金などによって賄われていたり、活動家の自費である。
人の為に何かすると言う事は、体力・メンタル的に簡単ではないと本気の活動家を見ると思い尊敬してしまう。
突然ですが眠くて頭が回らないので、続きはまたパート2で書きたいと思います。
ごめん。
So matsuzawa
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