2011年1月24日月曜日

食について考えるとやっぱりそこには人間のエゴがある。





これは1994年に台湾で作られた畜産業の実態を記録したドキュメンタリー映像です。

食肉に関しては、人それぞれ色々な価値観があり一方を否定し一方を肯定する事は出来ないと僕個人としては思っています。

ただ、肉や卵を食べるのであれば自分の口に入ってくる肉や卵がどのような環境からやって来る命なのかを知ると言う事は大切なことであり、知っていなくてはならない事だと強く感じています。

僕は食べる事が何よりも好きと言う程に『食』に関しては敏感な人間です。
おいしいごはんを食べると幸せですし、この幸せがずっと続けばいいな何て事を思ってしまう程ですが、ここ数年の間に大きく僕の『食』に関して変わった事があります。

それは、食卓に肉が登場する事が極端に減ったと言う事です。

以前は毎食必ず肉料理がないと満足できないでいましたが、今では一週間に一度食べるかないかにまでなりました。
理由は善良なベジタリアンの方に出会った事から感じた好奇心と、一部の動物愛護団体の過激なパフォーマンス活動に対する強い拒否感から『一体ベジタリアンと言うのは何なんだ?』と言う両極端の感情から生まれた力が僕を行動に移しました。

ベジタリアンの生活を知らずには何も言えないので、まず身も心もベジタリアンになってもる事を決意し、その生活を10ヶ月間続けてみました。

ベジタリアンの中には、肉を食べる事をやめるとアグレッシブさがなくなって落ち着きのある人間になれると言う人もいますが、それは僕に当てはまらなかったみたいで僕のアグレッシブさは10ヶ月間収まる事はありませんでした。

食よりも人間の性格や環境が人をアグレッシブにする訳だし、そもそもアグレッシブさをどこに生かすかの問題であってアグレッシブな事があかん事の様に扱われていることに自体がおかしい事やろと言う、当たり前の答えに辿り着いてしまいました。

ただ肉食をやめる事によって身体が軽くなると言うベジタリアン説は、僕に当てはまり重すぎず軽すぎない身体を感じる事が出来ました。

ベジタリアンと言ってもサラダばかり食べると言う事ではなく、普段食べるものに肉を入れない、肉の変わりに豆腐やソヤミート(大豆から出来たモノ)を使うなどの少しの工夫のみで良いので、さほど食生活が変わる訳でもない事も知った。

最終的に僕がベジタリアンを卒業したのは単純な理由だった。

まず、たくさんの肉を食べる事は人にも動物にも全くもって良くない、これは人の健康を見ても分るし動物にとってよくない事は上の映像で理解できる。
ただそこには食欲と言うエゴがあるだけで、それは押さえなければならない衝動である事がベジタリアン生活をして心から感じれた。
肉食は一つの食事の手段であってそれだけが食事ではない。
また肉と言うのは本来貴重な物であり毎日食べれる物ではない。
この簡単な事を身を持って感じれた事で僕は十分だ。

人間の食欲と言うエゴが肉食を押し進める、皿の上に乗った肉は過程を毛嫌いして結果のみを楽しむ事しかできない人間のエゴの塊なのかもしれない。

0 件のコメント: