2012年10月25日木曜日

彼も相棒も大変だ。


時には踏んだり蹴ったりやな今日はホンマ↓

何て日も生きてりゃありますが、今日紹介するある男の踏んだり蹴ったりに比べれば『僕の踏んだり蹴ったり何てモンはちっちゃいわ、忘れよっとw 明日や明日!!』と元気になれます。


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いや、ほんまに元気になるからwww

一度見ればあなたもちっちゃい事気にしなくなると思うんだなっ僕はっ!!(加山雄三風)

では、もったいぶっても仕方ないのでどうぞ召し上がれっw





シカをハントしようとしている彼に突然襲いかかるジャガー。
A!!絶対絶命の彼!!
彼『バッファローはどこだ??』.......時同じくしてバッファローはオオカミに襲われてしまいました。
バッファローHA!!


もう最強に踏んだり蹴ったりの状況ですが、彼もバッファローも最後には昼間の事なんて忘れて気にもせずゆったりと夕日の中に消えて行ってしまう。


ふざけた映像だけど、多くの現代人が忘れてしまった本来生きる上で大事なものがここには詰まっている気がして僕は大好きなんです。


ちなみに、

このビデオは

Buffalo Rider 』と言う1978年に公開された映画の映像を使って作られた、

『Guy on a Buffalo』と言う4部作立ての作品の一部なんですけど、是非全4作品始めから見て頂きたいっ!!

全部見ても10分ぐらいなのでサクッとみてサクッと元気になってほしいなっ僕はっwww

破天荒な彼とバッファローの旅を召し上がれ。








ふざけた内容とふざけた歌詞ですが最高ですw

特にエピソード3のバッファローとの出会いを回想した歌詞の中に(馬に乗って現れた彼が幼いバッファローを見つけ育てた後に)『食っちゃうかな?.....う〜んやっぱりこいつの変わりに馬を食っちまおうかっ』そしてバッファローを乗りこなしちゃう恐らく馬を食っちゃった後の彼。




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大好きですこう言う

This is real Masterpeice man!!

そして、こう言うのを作っちゃうアメリカさん大好きですwww


では、最後に一言。

元気な明日は誰にでも作れるんですっ☆




See ya mate!!

ありがとう、素敵な明日を!!

So Strike Schwartzman





2012年10月22日月曜日

イスラエルの雑誌


学校が始まってしまった.......
嬉しいんだけど、今日の授業はマジでおもんなかった.....
一発目おもんない授業の行く末が気になりますが、気を取り直してどうも僕です。


最近見た日本のTVの中で"ああ言えば上祐"でお馴染みだった元オウム真理教の上祐氏が今、オウム真理教を総括して思う事は、僕を含めて信者達は"親に依存して→親に反抗して→親から独立すると言うプロセス"が出来ていない人間が、親の変わりに依存する存在として麻原に依存してしまった結果だと思う。』ってな具合に総括してたんですが、まあ上祐氏や信者達の責任は置いといて言葉自体について僕が思った事を勝手に書かせてもらうと。




上祐マジその通りやんっ!!


愛する親から完全に離れる必要は全くないけど、自分の未来を生きる為に必要心のUP DOWNに対してのセルフケアー自己責任を自ら負う当たり前の態度を取れるような心の独立と余裕は、人や動物や自然と共に生きると言う意味で欠かせないピースだろうと思っている僕は、この上祐氏の”何かに依存し続けている人間”の問題性をオウムを総括する中で示した言葉には説得力を感じてしまう。


僕も、このピースを完全に身につけたかと言うとまだまだだな〜と思う事もあるけど、特にDownに心が入ってしまった時とかわ...........




あ〜お金のこと考えるんもうマジで嫌やわ.......イスラエル時給安いくせに物価高いって...... 







あ〜嫌っ嫌っっ!! 
おもろい事何かないかね〜!!!!
















先日虫歯を治しに最近通っている”爆裂イスラエル歯科”にて待合室にあった
イスラエル軍の広報誌的な雑誌のイスラエル的には一見普通の楽しげな兵役中女子の集合写真的な1ページ何ですが、僕が注目したのは左下の青い何かを持っている女の子のシュールさに笑ってしまいましたw

UPがこちら↓



           と  

中々
20歳前後のパツキン少女が迫撃弾を持って笑顔で収まっている写真はどこの世界でも見ないんじゃないかと思いますが、ここは


                                   イスラエルでの普通のバスの中の風景

イスラエル人の友人達がfacebookに載せる写真の中にはこう言う類いがごろごろあって、正直今は慣れてしまったけど雑誌と言う形で改めて見るとやっぱりめっちゃ変やな!!と思い地味にツボに入ってしまった待合室での午後でした。







この鉄の塊での脅し合い・殺し合いの歴史はいつまで続くのでしょうか?

心から祈れば世界は変わる?
誰かが変えてくれる?


そんなんじゃ一生変わりません。

文句があるなら僕達は権力に対して働きかける事をしなければならない。

物事は白か黒で判断するんじゃなくて自分達の時代にあった色を探すチャレンジが必要なんじゃないかな??

時にルールを破る事も民主主義だと僕は思う★



れひとらおっと。

ありがとう

So Strike Schwartzman




2012年10月17日水曜日

悪名、名高いイスラエル443号線道路。


大きな地図で見る

※灰色の点線より右側がパレスチナ自治区で青色の線が443号線道路。

イスラエル最大の街・テルアビブからイスラエルの首都・エルサレムへ行くには1号線を通るか443号線を通るかの2通りの道しかなく、1号線は出勤時や帰宅時には渋滞になるのに比べて、443号線では渋滞になる事はまずない。


......何で?

それは、443号線が持つ特異性に関係している。

443号線は大都市を結ぶ幹線道路としての意味だけではない”イスラエルにとっての国防”に関する大きな意味を持っている、それはパレスチナ自治区内に道路を通し物理的に自治区内の村々を道路を使って寸断させ、精神的にも村々の交流を寸断し自治区内の横の繋がりを絶つ役割を443号線は持っている。

その為、パレスチナの反イスラエル勢力は幾度も443号線を攻撃の標的にしており、443号線の道路脇には高い防護壁がそびえ立っている。


そして昨日、443号線沿いに住むパレスチナ人住民が同じく443号線沿いのパレスチナ自治区内に作られたイスラエル人入植地に住む入植者がパレスチナ人住民に対してする暴力行為(パレスチナ人のオリーブの木を抜き取る)に抗議する為に443号線を封鎖したと言うニュースが流れていた。

前に入植地の事は描いたので興味のある方はこちらを参照→『入植地』



道路も攻撃の一部として使うイスラエル政府......こう言う所、大嫌いです!!

イスラエル人アクティビストの多くはこの443号線の持つ本当の意味(パレスチナ寸断)がある為にこの道路を全く使用しないでいます。

イスラエル・パレスチナ紛争は銃撃戦よりもこうした見え辛い戦いが毎日繰り広げられている紛争で、それは直接的な解決への糸口を消し去る要因になっています。

僕は毎日平和な日々をエルサレムでは過ごしていますが、少し車で走ればそこはパレスチナで、そこにはパレスチナ自治政府の腐敗によって国際支援の援助も受けられていないパレスチナ住民達がいて、たった数十キロの距離的違いしかないのにその数十キロ間の現実の違いは距離的違いを遥かに遥かに超えている。

日本にいるアナタ。
日本語を理解するアナタが少しでもこの問題に関心を持ってくれればと願います。

ありがとう。

So






2012年10月13日土曜日

次の世代へ。


この頃ブログの更新が女子高生並みの、え〜どうも僕です。SOです。

上の写真は”イスラエルで一番早口でキレイ好きじゃないのか?”と思わせる友人のダニと正反対(ダニが口うるさいので正反対に見えるけど、実は基準値内)のシリの”天使の存在を信じたくなる様な子供達”と一緒に描いた花です☆

ホンマ子供達と一緒に絵を描くってすごく新鮮で完成時のディティールを無視して芸術と遊ぶって言う純粋な感情にさせてくれるw

と言うのは、子供達はラインとか配色とか全く無視して色を重ねて行くし、チョークで描いた絵の上を気にもせずに歩いて折角の色をぼやけさせるし、もう普通なら無茶苦茶なんだけど、子供達の場合は過程が最重要で完成時のディティールはそんなに重要じゃないから。

この僕も本気で子供達も本気のコラボレーションはホンマにおもしろいw



最近Uncle Soになった僕は姪っ子、甥っ子にいつか芸術の存在を伝えたいな〜何て気持ちがすごく強くなって来てるんです。

”楽しい”が行動原理の子供達に、単なるお絵描き教室ではなく僕は”未知との遭遇の楽しさ”を僕なりに伝えたい、その体験は僕がそうだった様に何年も先に突然芸術の扉を開かせる布石になるかも知れないから。


僕は小学校の低学年の頃に地元の美術教室に通っていたんだけど、その時の先生がとても良い先生で見た目は”エレファントカシマシの宮本浩次みたいな風貌でジャージに便所草履でスポーツタイプの単車に乗ってやって来る”見たいな先生で、ある日先生が”お前ら木を描けと木が見える場所に移動し木を描いているとその”フリースタイル・ティーチャー”は僕の所に来て"お前、木って緑一色か?よう見てみ、影やら何やらで色んな色あるやろ?"と問うて来た。。。。

”まゃその通りやな”と僕も思ったので違う暗めの色を混ぜて描いていると"そのアーティスト"は又やって来て"こんな明るいか?もっと暗くないか?心を使えよ心を"と問うて来たでごじゃる。。。。

"は?やかましいなこいつ"と当時の僕は思ったので、もうキャンパスを真っ黒に塗ってしまうと"この便所草履"は"これやっ!!お前めっちゃええやんけ!!最高やんけ!!"ともうまさにベタ褒めでごじゃったが、僕は何が良いのかよく分からなかった。


だけど、それは初めて僕が芸術はホンマに何でもありなんやな〜と思った瞬間でもありました。


結局、野球好きだった僕はその美術教室を途中で辞めてしまったけど、心の中に芸術の種は宿っていて、今その種を咲かそうと頑張っているので、やっぱりあの"未知との遭遇は"価値があるものだったと僕は思う。

僕はそう言う種を次の世代に残す活動もいつかしたいなゃと思っとります。
もちろんその時は便所草履を履いてやりたいw

芸術はとっても自由なんです。


最後にこちらをどうぞ。


さいちぇん。

ありがとう。

So Strike Schwartzman





2012年10月11日木曜日

価値観、。




価値観。

何が大事で何が大事でないかという判断、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系のこと。


だそうです。
国や地域が持つ文化や宗教や政治状況、はたまた世代によっても違うこの価値観。

なんせ言いたいのは人の数だけ価値観はあると言うこと。

そして、こんな事はみんな知ってる。

だけど、この価値観と言う言葉を常識と言う言葉に置き換えると”人それぞれ”と理解する人は一気に少なくなるのは何でだろう。

それは常識と言う言葉には社会のルールと言う意味合いがくっ付くからだろうけど、その社会のルールと言うのはその社会に住む人々の様々な価値観から生まれて来るんではないのかい?

そんな柔軟性を持たない今ある日本の常識は、やっぱりおかしい。

そして特に日本はマイノリティー・グループに厳しいのも嫌だ.....。

それは日本と言う国が自らの国の仕組みである民主主義の本来の意味をしっかりと高等教育までに教えていないからかも知れないし、多数決を真剣に民主主義の象徴だと思っているからかも知れない。

ただ、それだけではない...何かが僕にはあると思う。
それは経験値の少なさだと思う。
つまり、完全に違う価値観を持った集団(人)に出会い触れ合う経験の少なさだ。

海外では異なった価値観を持つ人達が集まり社会に対してロビー活動や交流を積極的にくり広げ、社会やメディアもその存在を公認している場合がとても多い。たとえ、求めるモノが現行では違法であろうとそれは関係なく、憲法とはその時代のニーズに合わなければ意味がないと言う意識が文化先進国では根強いからだと僕は思う。

日本でもロビー活動や交流を積極的にしている団体はいくつもあるが、日本人は価値観が大きく違う団体(人)は "頭がおかしい" "早く大人になれよ" "私には分からない(と言う決めつけ的判断)" “オウム真理教”何て言う様なネガティブな意見が多く、そして地上波放送が主流の日本のメディアはスポンサーの顔色を見て都合が悪い報道はしないのが当たり前になっている。

日本は都合の悪い情報は国民には与えない、まるでどっかの社会主義国家の様だ。
それではいつまで経っても日本は文化後進国のままで、それでは行けないし日本のポテンシャルはもっと高い!!
現在の日本の文化の進化は上辺の流行でしかなく、本質の変化にまでは至ってないと僕は思っている。


もちろん日本だけではなく、他を受け入れられない人は海外にだっている

イスラエルに住むアラブ人・ユダヤ人の間の価値観の違いは『ホンマに埋まるのか?』と本気で思ってしまうほど、まだまだ違うし同じイスラエル人同士でも多人種国家のイスラエルでは白人系・中東系・アジア系・アフリカ系イスラエル人の間の価値観の違いも相当にあって一部では否定し合っている。
同じ様にアラブ系でもクリスチャンのアラブ人とムスリムのアラブ人とでは、全く違う。

かと行ってこのカテゴリーの中の全てのシチュエイションにおいて価値観の違いが見られる訳でもなく、フレキシブルな考えのムスリムやジューイッシュもいる様に定説的な価値観に捕われない人が多くいるのは日本にも海外にも当てはまる現実だ。


僕が言いたいのは、それを受ける社会と言う受け皿が日本と海外とでは天と地ほど違うと言う事なんです。


これは絶対に変えなければならない。

今の価値観が全てだと思わず、常識に捕われないでいて欲しい。

それはあなたの為だけでなく日本の為にもなるんです。

それが僕の今日の願いです。




最後に一つ動画を紹介したいと思います。



2006年のイスラエル・レバノン紛争の映像なんですが、2006年と言えば僕が高校を卒業して2年が経った年であり、僕と同世代のイスラエル人は兵役2年目の年になり、僕のイスラエル人の友人は兵士として加わっています。

この戦争で仲間を失った友人の一人はその後兵役を拒否し続けていると同時に、仲間の命を奪ったアラブ人達とは一生関わりたくないと言い。

同じくこの戦争に参加した友人は今も一年に一回数週間、軍に呼び出され訓練と勤務に就いている。『戦争は嫌だしアラブ人が嫌いってワケじゃないけど、俺イスラエル人だから仕方がないでしょ。。。』と言っている。


僕はイスラエル軍の過剰な防衛行為に対しては大反対の立場を取っていますが、自分の仲間に直接的な戦争経験者がいて生々しい話を聞くと、正直とても複雑な気持ちになります。

価値観の違いだけではない、”何か”がそこにはあるんだと思います。

だけど、僕にはまだそれが何だか自信を持って説明する事はできません。
きっとそれはこの国での経験が足りないからだと思います。

それを埋めるべく、これからも頑張って行きますので応援よろしくお願いします。

ありがとう

So



写真の絵はゴッホとゴーギャンが同居していた頃に書かれたイスの絵です。


2012年10月9日火曜日

I am FUDEBUSYO. 私は筆無精。



どんだけブリやねん。とつい自分に突っ込んでしまう位ヒサビサです。


このBLOGを書いてない間に面白い事は結構たくさんあったんだけど、何だか更新する気になれなくて.......これってやっぱりあれかな........夏の終わりによくあるって言う..........


......筆無精かなっ??


僕の筆無精はかなりの筋金入りでして、へいっ(江戸っ子風)。。。。

小学校の頃の夏休みの絵日記は、最終日に記憶と創造を織り交ぜてほぼフィクションで書いたり。

日記を書くぞと幾度と買った日記帳は始めの一週間で飽き始め、二週間目には違う用途に使われ、三週間目には無くなる。と言うような、何も残らないサイクルをほぼ毎年繰り返し。

ブログを初めて見てもやっぱり同じで書いては放置、そしてまた書いては放置の繰り返しで唯一、このブログファンであると公言してくれている兄貴の奥さんのおかあさんから放置し過ぎて安否を本気で心配される始末。(この場を借りて、おばちゃんありがとう☆)


きっと是は治らないと思う。


唯一続けているのは、メモ帳に思いついたモノを書き込む事ぐらい。
これは他人が見ても何も面白くないであろうと思われるThe無駄Informationメモ帳だけども、僕にとってはとても大切で常に鞄に入れる重要品なんだすよ。

ちなみに最近書き込んだのは”干し芋の作り方”だす。



と言う訳で、どうも僕です。Soです。




イスラエルは昨日まで6日間の連休でして(ちなみにイスラエルは世界で3番目にホリデーが多い国らしいです。)、その間にエンプティーハウスと言うアートグループが主催する※スクワットした施設で行なわれた"キブツ"と言うアートエキシビジョンに参加しており、その準備なんかでこの2週間ほど肉体的にも精神的にも酷使した感があり、『Soくんセルフケアーせなあかんよ〜』状態、簡単に言うと軽く荒むと言う状態にアートエキシビジョンに参加しているにも関わらず陥ってしまいました。

今はかなり落ち着きましたけどね。

もうちょっと一人の時間をしっかり見つめ直して、やる事はしっかりやりたいなと思っとります。
きっと自分を知る事と自分を試す事が僕には足りて無かったんだと思います。。。。。。そう思う事にします。。。。www

そんなこんなで学ぶ事が多かった今回のアートエキシビジョン、今後はちょっとオタク級に籠って作品を制作しようかなと思っておりますので、これからも応援の方よろしく願いします。



悲しいですがお別れの時間がやって来たようです。。。。
では、本日のビデオを数点紹介してお別れしようと思います。

本日はユダヤ教の経典(トラ)を全章読み終えた事を祝う日であり、この日はデッカいトラの巻物を抱えてユダヤ教徒の男性が踊る姿が、僕の住むエルサレムでは多く見られました。
その一コマをご紹介させて頂きます。また次の日になれば始めから読み始めるんですけどね。。。。




と!!エキシビジョンからの一コマです!!
音楽 Ariel Armoni ダンス Takanori Kawaharada 舞台・VJ So Strike Schwartzman







最後に良い話をちょっと。

今日、車を運転してるとラウンドアバウト近くの信号のない横断歩道のある道の脇に5or6歳ぐらいのユダヤ教の伝統的な服装をした見た目だけでオーラを感じさせられる女の子がいたので車を止めると、女の子は横断歩道を渡り始めちょうど車の前に来た時に"ふっ"と僕らの方を満面の笑みと共に振り向き、大きく通る声で『トダっ』(ありがとう)と僕らに言うとそのまま"すー"と歩き去ると言う、もうこれは”事件”とも呼べる様な衝撃に僕とタマちゃんは襲われ二人そろってたった今、目の前で起きた"特別な雰囲気を持った女の子が見せた清々しく力強い光景"に涙腺が持って行かれると言う事がありましたw
心からの”ありがとう”って何て素晴らしいんだろうと言う事を再確認しました。

ありがとう。いや、ホンマにw


※スクワット(SO流辞書)

所有者のハッキリしていない建物や放置され続けている建物に水道や電気を引いて勝手に住み着く行為。ヨーロッパではスクワットが違法でない国も多く、更にある程度の期間住むと居住権的な権利も主張できる様な国もあると聞く。
ってな具合でヨーロッパでは結構盛んに行なわれていて、僕がヨーロッパ・ピンポンダッシュ珍道中をした時もスクワットされたアートスペースや住居をよく見たのを覚えている。
それはヨーロッパ文化のアートに対する理解から来るものが大きいし、違う観点では異常な寒さのヨーロッパの冬から身を守る為にホームレス達がスクワットする場合があり、そのホームレス達に対しても理解があるんやっと言うのも聞いた。
『どうせ取り壊すから騒ぎを起こさんかったらええよっ』っ的な感覚が建物の書類上の管理者の理解があるのかも知れない。
もちろん、そんなビューチフル・ストーリーばかりではない見たいだけどw
でも、僕はそう言う基盤があるのはすばらしと思う。
ところで、イスラエルはまだまだスクワットに対する理解は薄く、エンプティーハウスにスクワットされた建物はことごとく閉鎖を強制され、今年は既に3つもの建物を転々としている。
エンプティーハウスはスクワットした建物に水道や電気を引き、お風呂も台所もトイレも作り、廃墟を普通に人が生活できる様に変えてしまう。そして、基本ヒッピーマインド。