2013年10月21日月曜日

ゼラチンの正体



今はベジタリアンではないんですが、イスラエルには多くのベジタリアンがいて外食産業でもベジタリアン用商品が数多くあり、実はベジタリアン先進国でもあるイスラエル。

そして、ベジタリアンが盛んな地域にある特有の現象『動物を食べるなんてありえないわっ野菜は健康にいいのよ』と言う。ベジタリアンが勝手に私たちはあなた達見たいに受動的な存在じゃないのよと言う”菜食主義者の謎の優越感現象”。も、がっつりあります。

もちろん一部の人達ですけども。

『健康にええ言うてお主ガチデブやないかい!!』と糖分採り過ぎベジタリアンに突っ込みたくなる事もありましたが、今は肉を食べる事に自信を持っているので、この食肉問題に関しては『個人の自由』と言う意見を持っています。もちろん行き過ぎの場面には対応しなければならないですが。

と、前置きは終わりにしてっと。

下のリンクはお菓子をパクパク食べ気味のベジタリアンに対して、『ゼラチンはベジタリアンが食べても良いモノなのかしら?』ってな感じで無数の動物の骨の写真と共にのせてあるアメリカかどっかのベジタリアンのツイート的な記事です。

簡単に説明すると
『プリンやマシュマロやグミやキャンディに含まれるゼラチンって動物の骨から作られているのよ><もうこの事を知ってから大好きだったグミも食べるのやめちゃったわ!ほんとゼラチンの正体を知ってよかったわwだって今は前よりもっと健康ですものっwうふっw』的な感じです。

最後の健康アピールは若干うざいですが、みなさんはゼラチンの正体知ってました?

おーこわっ☆


http://www.vegfriend.com/forum/topics/do-you-think-gelatin-is-acceptable-for-vegetarians-to-eat

イスラエルにおけるアフリカ難民







四国ほどの大きさのちっぽけなこのイスラエルに約6万人のアフリカ人難民が2006年から2013年の間に流入しているそうで、600万人と言われるユダヤ系イスラエル人との比率を見ると驚きの数字です。

ちなみに平成23年度の日本の難民受入数は21人で、日本の人国は約12800万人です。

テルアビブの旧バスターミナル地域のマーケット周辺はアフリカ系難民とアジア系労働者と飲んだくれロシア人で構成された超異空間が広がっていてイスラエル人は全くと言っていい程、近寄る事はないのですが、僕はアジアン食品や大阪の西成を彷彿させる小汚くて陰のある雰囲気が好きでテルアビブに寄るときは必ずと言っていい程、立ち寄っています。

基本的にアフリカ系の難民は日雇いやレストランでの皿洗いなどで、生計を立てている見たいですが、両方ともイスラエルの労働条件を満たさない様な低賃金でイスラエル人経営者にこき使われているのを実体験として見てきました。

そして、イスラエル人の差別意識は、日本人の差別意識と同等に高いものがあります。

日本の場合は外国人が国内にイスラエル程にはいませんので、直接的な言動を起こす事は全体としては多くはないのですが、イスラエルの場合は前にも書いた様に100人に1人は外国人と言う状況で、その多くは一部の地域に住みコミュニティーを形成している為、”イスラエルを聖なる国”何て本気で信じている人はもちろんの事、言葉もろくに通じない外国人が集団で自分の町にいる事に不安や嫌悪感を感じている人達が映像の中の様に直接的な言動を取っている状況が現在進行形であります。

本当に正直な所を言うと、互いにほとんど交流のない中で言葉の通じない外国人が集団で自分が生まれ育った町に住み着く事を考えると僕は『いいね〜おもしろそうだね〜』何て言えません。

不安を感じる事もあるかも知れない。
差別的な思いが心を過るかも知れない。 いや、きっと過るだろうと思う。


つい最近、イギリス人の友達にデリカシーの無さを承知で興味心から黒人とかアジア系のイギリス人を見て『イギリス人ちゃいますやんっ』ってな思いとか過る事ない?と聞いて見ました。

すると、彼女は『小さいときから同じ学校で同じ様に育ったから私はそう言う思いはないかな、でも私の親世代はそう言う思いはあったと思うよ』

『ふむ、確かに』と僕はある経験から納得しました。

小学校の頃にブラジルから褐色の肌が光る日系ブラジル人の子が転校して来て言葉の壁が始めはあったけど、1年もすれば会話も他の友達と変わらない程になり日本人としてと言うか同じ仲間として接していました。

様は、個人レベル地域レベルでの関係性がない事が差別を生んでしまうのかな?何て思います。




潜在的な差別は確実にあります。あかんと思っていても、やっぱりあります。

なので、僕は潜在的な差別を否定する事はできません。

しかし、身も知らずの人を直接的な行動で差別する事は只の暴力です。

それは、どう考えてもあかんし非難されるべきであると僕は思います。



国内のキャパシティーを超えた難民を受け入れたイスラエルはある種立派だと思いますが、一部の国民の不満が爆発した現状をどう打開し未来に向けてどう対応して行くのかを注目して行きたいと思います。

ちなみに、現状では滞在期限の切れた難民を捕まえてめっちゃ暑いイスラエル南部の砂漠にある刑務所に連行しているみたいですけど。。。。





2013年8月28日水曜日

日本がこんな状況にならないなんて誰が言えるでしょうか??


先日、日本でも報道されたシリアの化学兵器攻撃。

この化学兵器使用が本当に政府によるものなのか?
それとも、どこかの国が何らかの意図でシリア政府の攻撃と見せかけたのか?

長引くシリアの内戦。イスラエルの北部と国境を接する国シリア。

イラン政府は公式に「シリア政府による化学兵器の使用と題されるものが、実はテロリストによるものだったことを裏付ける証拠や論拠が存在しており、これらの証拠はロシア政府によって国連安保理に提示された」また、’’アメリカや欧州がシリアに対して軍事攻撃を行う事は周辺地域全体にとって危険な結果をもたらすだろう’’と27日に発表しました。

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/39552-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%A4%96%E5%8B%99%E7%9C%81%E3%80%81%E3%80%8C%E5%AF%BE%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%8E%AA%E7%BD%AE%E3%81%AF%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%85%A8%E4%BD%93%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%8D%B1%E9%99%BA%E3%80%8D

周辺地域とは、もちろんイスラエルに対して使われた言葉です。
そして、今日シリア政府も公式に”シリアの首都であるダマスカスが攻撃される事があれば、イスラエルの最大の都市・テルアビブは攻撃目標となる”と発表したと言うニュースがイスラエルで伝えられました。

http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4423026,00.html

これは、シリア政府はアメリカや欧州が攻撃して来た場合は、敵国でありアメリカや欧州各国と関係の深いイスラエルに対して宣戦布告し、戦争状態にする準備があると言う脅しなんですが、単なる脅しとも言えないのが現状です。

戦争っていきなり起こるモノだなって本当にイスラエルに来てから思います。ホント、嫌。

もちろん伏線はあるんですが、身近に感じるのはギリギリになってからで身を持って感じるのは空襲を伝えるサイレンがなってから。

一般市民の感覚は悲しいけど、こんなもんです。

日本で同じ事が起こればどうなるでしょうか?アメリカが守ってくれると安心して平和・平和と念仏を唱えるのでしょうか?

悲しいけど、こう言う時には軍という存在が先頭に立ち国と国民を守る為に立ちはだかります。

それを否定する事なんて僕にはできない。

難しい問題ですし政治的に解決できる世界にする事が一番の目標ですが、僕は今の現状では軍隊と言う存在は行動に規制をかける事は不可欠ですが、必要だと感じています。 


ありがとう
So






2013年8月19日月曜日

おい!コラ!ロシア!



エルサレムで発行されている僕の大好きなアート系フリーペパー『アフ』(אףֻ•鼻)


今回のタイトルは”プライド”。 
プライド、、、あの木村拓蔵のドラマではなく、欧米やイスラエルではプライドと言う言葉で連想されるのは"Pride Parade"同性愛を世間に知ってもらう為に、また同性愛者の権利を主張する場として東京を含む世界中の都市で行われているパレードで、まさに祭典です。

僕の住むイスラエルでは同性愛者同士の結婚は未だに法律では認められてはいませんが、同性愛の認知度と同性愛に対してポジティブな意見を持っている人はたくさんおり、テレアビブに行くと仲良く手を繋ぎながら街を散歩するカップルをたくさん見かけます。

そして、その風景は今やテレアビブの風景と言える存在になっていて、同性愛と言う愛の形を良い意味でも悪い意味でも特別視する人間が少ない環境の中で自然に作り出されたんだな〜、何て感じます。



そんなこんなで世界的に今、同性愛を第三の性として法律で認める方向に向かって来ているんですが、『The マッチョ』でお馴染みのロシア帝国ではつい最近『政治的意思を持つ同性愛に関する宣伝活動の禁止』と言う超アンチ同性愛な法律が出来てしまいました。。。。

まじっすか?と呆れてしまう。

この法律は例えば『女性の権利を求めるデモを禁止する』『男性の権利を求めるデモを禁止する』『人間としての権利を求めるデモを禁止する』何て言う”そんなアホな事があるかいっ”と言う法律がロシアでは普通に通ってしまうと言うアホさ。

僕は同性愛に対して、10代の頃は知識が無かったので偏ったネガティブなイメージしかありませんでした。
簡単に言うと、『気持ち悪い』としか思っていませんでした。
だけど、外の世界に出てゲイと呼ばれる人達に出会い語り合う事で、僕が持っていたイメージが何てアホらしい糞みたいな偏見であったかを知りました。
同性愛と異性愛の根底は同じなんです。何も変わらない。

SEXに関して言うても別にストレートの人間には関係ないやんって言うね。
つまり、他人のSEX想像して気持ち悪いとか言うてるのはアホやんww別に正直どうでもええやんっw
そんな事で同性愛者を差別してる輩は、さぞかし淡白なSEXしかしていないんでしょうね。って思っちゃいます。

僕はストレートですが、イスラエルの親友はゲイで彼らの存在は僕にとって唯一無二の存在です。
泊まりに行っても、もちろん何にもありません。だって普通の親友関係だから。


残念ながら、日本の中にも同性愛に対してよく考えると馬鹿らしい差別が、まだまだあります。

人が人を愛する事に何の問題があるのでしょうか?

僕は同性愛に対して特別な感情がある訳ではありません。ただ、別にええやんと思っているだけなんです。
その別にええやんと思っている事が、世間では無知から来る差別のせいで自由に生きれない人達がいる事に僕は激しい違和感を抱いています。

だから、僕はこう言う問題を取り上げ続けたいし、共有していかなくてはならないと思っています。

友人•知人が同性愛でも別にええやん。



めっちゃ残念ですが、日本も同じ様なもんですよ。


スパシーバ。
So

2013年8月16日金曜日

ちゃかして喜ぶおもちゃじゃない、人間って言うのは。


小学校4年生の時、僕は僕を夢中にした人と親友の家で出会いました。


外国人女性のヌードカレンダーがある親友のお父さんの部屋でドキドキしながら聞いた、長渕剛のシャボン玉。


その日から僕は何故か彼に夢中になりました。


長渕に憧れてヤン毛も伸ばしていました。


長渕に憧れて小4で初めてメンチをキリました。


そんな事で、小4の時のクラス写真にはヤン毛を伸ばしてメンチをオモッきりキッテいる少年2人が写っています。

長渕の歌詞は小4の僕には単純にしか理解出来なくて長渕の雰囲気に憧れてただけだったけど、小6の時になる頃には僕の日本語力も少し改善されたのかシャボン玉のB面”親知らず”の歌詞から影響を受ける様になりました。




ペンチで親知らずをひっこぬき そいつをボリボリ
かじりながら ぼっこりあごがふくれあがった
暗く新しい朝に 根っから貧乏症の この俺ときたら
黒いコウモリ傘をさして TVを見ている
横シマなマスコミは、いつも臭い息を吐き
知識と教養をふりかざす 点数稼ぎのバカ野郎共が!
はるか地球の上から 人間を
見下ろしても 日銭暮らしの俺たちにゃ
もっともっと 大事な事がある

※俺の祖国 日本よ!どうかアメリカに溶けないでくれ!
誰もが我が子を愛するようにー
俺の祖国 日本よ!ちかごろ ふざけすぎちゃ
いねえか! もっともっと自分を激しく愛し貫いてゆけ
銭はヨオ! 銭はヨオ! そりゃ欲しいけどヨオ!
何ボ積んでも 何ボ積んでも 譲れねえものがある※

ゴルバチョフもフセインもブッシュも海部さんも
お暇なら明日 俺の家へ遊びに来てくれねえか!
何にも おもてなしはできないけれど
聞いて欲しい唄が 3つばかりあるんだ
いったい俺たちは自由という本当の意味を
どれだけ深く深く知っているのか? 目的のない自由に
身をまかせて生きるくらいなら
俺は死ぬまで一睡もせず カラオケかじった方がましだ
銭はヨオ! 銭はヨオ! そりゃ欲しいけどヨオ!
何ボ積んでも 何ボ積んでも 譲れねえものがある

宇宙や世界や宗教 それもいいけれど
女よそっと優しい乳房をさし出してくれ
のどをさき血を吐いても そいつを飲みこみ
男よもっと真っすぐな サムライになれ!
土のない街をつくり 眠れない夜をつくり
緑のない空気を吸いたくり 赤ん坊には注射針
つり下がった点滴のビンがぶらぶら揺れている
俺たちは犯した罪を汚れねばついた舌でなめている

(※くり返し)

銭はヨオ! 銭はヨオ! そりゃ欲しいけどヨオ!
何ボ積んでも 何ボ積んでも 譲れねえものがある


”親知らず” 長渕剛 



いったい俺たちは自由という本当の意味を
どれだけ深く深く知っているのか? 目的のない自由に
身をまかせて生きるくらいなら
俺は死ぬまで一睡もせず カラオケかじった方がましだ
銭はヨオ! 銭はヨオ! そりゃ欲しいけどヨオ!
何ボ積んでも 何ボ積んでも 譲れねえものがある

全ての歌詞に魂が込められて良いんですが、中でも僕はこの歌詞にビシビシと心を打たれました。



譲れないはずの自分の自由を守る事は、中々大変で

くじけてしまう事の方がだんだん多くなって行くんだけど、

みんな、こいつと戦いながら生きているんでしょうね。

人とは共有できない抽象度の高い自分の世界は

抽象度が低く共有されている世界では空想にしか見えない事もあるけれど、

両方の世界が共存している事は確実なのです。

つまり、自由と言う意味を真剣に考える事は必要なのでしょう。と言うこと。





まずヤン毛を伸ばして街でメンチをキッテみましょう。

何か分かるかもしれませんよ。










まずは、アメリカに溶けないように重い槍からですねんねん。







ありがとう。

So

2013年8月14日水曜日

黙っていましょう。サウジアラビアが超差別国家だと言う事は.....だって、石油が一番大事だもん。


 前にもFacebook上でサウジアラビアが、どれだけ差別国家であるかと言う事を書いたんですが、今回もまた胸くそ悪い記事を見つけてしまったので、みなさまにお伝えしようと思います。

なぜ僕がサウジアラビアの差別問題に最近肩入れしているかと言うと、サウジアラビア人女性の友人が最近出来、サウジアラビアの性差別事情を聞いた事と、我々日本人にとってサウジアラビアは失う事との出来ない国と言う事を知ったからなんです。

と言うのは、日本が海外から輸入している原油の内、30%がサウジアラビアからの輸入であり、またサウジアラビアは日本にとって最大の原油輸入先国なんです。

サウジアラビアからの原油輸入が滞る、何て事が起きればまさにオイルショックの再来となってしまうんです。

これは大変ですね〜いや、これは絶対に起こってはならない!!

たとえ、サウジアラビアが男尊女卑の国であって、サウジアラビア人女性が人としての権利も無いに等しい生活をしいられていても、良いんです!我々日本人が幸せに暮らせればww  

黙っていては、こんなアホみたいな考えの人と同じになっちゃいます。

そんなの嫌ですよね? 僕はまっぴらごめんの助です。

石油は心苦しい部分もありますが現在の世界の形では必要不可欠です。

しかし、必要だからと言って目の前で起こっている最低な現実に目をつむる事が正しいとは全く思わない。 

間違っているモノは論議するべきだし、抗議するべきだと僕は思う。

日本だけじゃない、アホのアメリカも八方美人の欧州にも言える事だけど、我々はもっともっとサウジアラビアの性差別を問題にすべきだ。



出席者が男性だけの『女性会議』サウジアラビア
http://beladalorb.com/cat3/17598.html


旅行をするにも自分で仕事をするにも医療を受けるにも、女性は男性の保護者の許可書が必要なんですって。。。もちろん、運転なんて事も女性は出来ません。(Human rights watch)


石油はただ地中奥深くから流れ出て、日本へやって来ている訳ではないんですよ。


考えましょう。どんな国からやって来ているか?を。



ちなみに、僕の住むイスラエルは女性の社会進出も多く女性の権利は比較的守られていますが、超正統派ユダヤ教徒の社会ではサウジアラビアと同じでは全くないですが、男性優位主義がまだまだ残っています。

宗教社会だけではなく、男性優位主義は世界のマッチョなヤンキー社会にも根強く残っており、それを良しとする女性も中にはいますが、僕は一人でも苦しんでいる人が居れば『おかしい』と言い続けたいと思います。もちろん、これは反対の場合や第三の性に関しても同様な思いです。

ありがとう。
So











2013年7月15日月曜日

嘘つきはあかんけど、嘘つきに僕らは支配されている。分かっているのにアホな僕たちは支配されている。





『衝撃』です。。。政治家って本当に平気でウソをつくんですね。

この中山泰秀と言う自民党の議員(祖父から続く政治家一族の三世議員)の発言には引きまくりです。。。




中山氏は動画の冒頭にあるように、

『 自分の事を正当化する為に相手の事を誹謗中傷する様な古い政治家は早く政治から立ち去った方が僕は言いと思います 』



。。。。まあ、動画の続きを見ていただければ『こいつただの坊ちゃん議員やな』感、丸出しなんですが。



実は僕は2005年の小泉ブーム真っただ中に行われ小泉チルドレンを大量に生み出し日本をアメリカ的な変な感じに結果的に導いた第43回衆議院議員総選挙の選挙期間中この中山泰秀氏が、当時僕がアルバイトしていた地元の中華料理店(海外移住を決めお金を貯めていたウェイター兼配達係の僕、オーナーであり料理長であるマスター、店の看板娘でゴットおばちゃんである奥さん、の三本柱の極狭店舗でありながら極ウマのお店)のお隣さんが熱心な自民党員で中山氏を自分の店のガレージに呼んで演説会を開くと言うので、当時政治に興味を持ち始めていた18歳の僕はマスターにちょっとお願いして30分間の中山氏の演説を聞きに行きました。

わくワック、どきドッキ☆

僕にとって初めての選挙演説視聴だったので、『どんな事を政治家は話するのだろうか?』ともの凄い期待してたんですが。。。。。。




中山泰秀氏は結局30分間、ずーーーーーーと休みなく幼稚で抽象的な民主党批判をしていました。



自分の思想もハッキリしないのに、有権者には聞こえのええ言葉を簡単にドヤ顔でタラタラと永遠に話す方法は中山氏にとっては古くない政治らしいです。。。。。


『こいつ、ただの嘘つきやん!!きっっっっっっもっ!!』



それをアホみたいな顔してフムフムと聞いてる爺婆達。

今にも投票しそうな勢いの爺婆達は、政治家に会えただけで嬉しくて嬉しくてたまらない様で、まるでアイドルを応援してるアイドルオタクと何ら変わらない様子だった事を未だにハッキリと思い出します。

”日本人の政治意識の低さ”と言う言葉は当時はまだ思い浮かばなかったですが、高校の先生(政治経済の四郎さんは何でも時間をかけて答えてくれたのに。。。)から学んだ政治の魅力はその場には一切なく、きもーい空気がどよーんと流れていていやーな気分になった事を思い出します。


この動画は僕にとって、嘘つきは政治家の始まりと言う言葉の意味がハッキリと分かった動画でした。



演説無し民主党批判自民党ファン感謝祭30分一本勝負を終えた中山氏の帰り際に『民主党批判ばかりで面白くなかったです』と声をかけると


こんな感じの顔でササっと帰られました。。。。





『ないわ〜』と心の底から思った瞬間です。







政治は政治家が作るんではなく、始まりは真剣な市民が作り上げるものです。


これだけは間違いありません。


政治参加は一部の人間だけの趣味ではありません。


僕たち社会に生きるすべての市民の当たり前の時間です。




参院議員選挙の投票日は7月21日 日曜日!!



まずは参加から☆

ありがとう!!

So











2013年7月6日土曜日

あら、やだ!!死刑。






このないだ、ドイツ人の友達と犯罪に対する刑罰について話をしていて”日本では死刑”が最高刑だよ、と言うと”SO!!もう21世紀だよ!!どんだけ時代遅れなの!!例え、意図的に人を殺すと言う罪を犯した人間であっても殺して良いとならないでしょ!?”ともの凄く驚かれてしまいました。 ※EUに加盟しているヨーロッパの国々には死刑制度はありません。 

死刑がない事が道理的に絶対的に正しいとは僕は思いませんが、死刑があり得ないと言う意思と考えを持った国の人と死刑について話をした事がなかったので、少し彼女の意見に驚いたと同時に、先進国と呼ばれる国々が作る社会を国際社会と呼ぶのであれば日本は国際感覚からこの部分ではかけ離れているんだな〜何て感じました。

※イスラエルでは犯罪に対する死刑はないが、ホロコーストに関係した旧ドイツ軍人に対する死刑は存在する。

人間と言う物は不思議なもので基本的な肉体的機能は同じなのに、極度な攻撃的思想を持って他人を強制的に巻き込み命を奪う何て事をしてしまう可能性をも持った不確定な脳機能があると言う。不思議です。

だけど、『不思議だな〜へへへへっ。まっ別にどっちでもいいし分かんないっ。』何て知らんぷりできる問題ではないですよね。

殺人は突然身にかかってくる犯罪ですし、僕らは”殺人の様な犯罪が起こっている社会”に住む人間である以上、絶対に最終的な刑罰について考えなければならない問題であると思いませんか?僕は思います。

世界の死刑制度の有無を示す図

僕個人の意見は現在の死刑制度に対しては反対です。

死刑囚と言うのは死刑自体が刑なので刑務所で強制的労働がある受刑者とは違い、死刑執行までの期間(平均7〜8年)は強制的な労働のない留置所の独房で死刑執行に怯えながらとも言え、自由に本を読む事も食べたい物を何でも差し入れとして食べられる自由がある、僕は究極の罪を犯した者には究極の刑を負う責任があると言う思いがあり、現在の死刑制度は僕の中では究極の刑ではないので反対です。

死刑を廃止し、現在日本にはない終身刑を取り入れ刑務所で強制的労働の中で一生涯罪を償わさせる事が必要だと僕は考えます。

もちろん、人の一生を左右する重大な問題なので、冤罪が生まれないように警察での取り調べの可視化(取り調べ可視化に関する以前のブログ記事)と検察と裁判所のなれ合いのない正しい三権分立は絶対条件ですが!!






本当は殺人のない国を作る事が一番大事です☆



ありがとうっ☆
So







2013年6月12日水曜日

整理整頓と保管場所の遵守



何回アホと言われたでしょうか、先週末から今日にかけて、、、、、。










皆さん、パスポートの管理は怠っていませんか?

国内にお住みの方はしっかり桐ダンスの小棚にしまってありますか?

国外にお住みの方はしっかりプラスチックの書類ケースにしまってありますか?

無くしたらイザと言う時に大変困ってしまいますよ。








と言う事で、どうもパスポートを無くしたSOです。

イスラエルに移住してから4年が過ぎ、この4年間で2日間の強行スケジュールでヨルダンにサッカーを見に行ったのみ一切出国していないので、パスポートと僕との間には殆ど絆がないと言う現状が、まずありました。

しかし、僕も馬鹿ではありません。

しっかりと保管場所を決めてノータッチ作戦を決行し日本人である証であり外国人として生きる上で最重要のB7サイズの紙製品である・パスポートさんを死守して参りました。



が、時が経ち。そして、また時が経ち。またまた、時が経ちパスポート何て存在もその価値も忘れてしまった僕はパスポートさんとは年に一回ビザ更新の時にのみ会う関係へと陥ってしまいました・・・・・。




18の時に日本を出ると決心し、バイクに乗って地元大阪のパスポートセンターでパスポートさんを申請し、受け取ったあの日は、あんなにあんなにうれしかったのに!!うれしくて、うれしくて100円均一で買った透明ケースでおめかしまでして一緒に出かけたのに!!

大阪パスポートセンター所長 吉田 十啓(大阪府ホームページより)


今じゃ、、、。 


今じゃ、、、、、、、、。


もう、、、、、、、、。




友達以下の関係じゃないかっ俺!!!




なんで!!なんでっ!!こんな事になっちまったんだよっ、、、、、、、。












と、まあ気持ちの悪い奴が登場してしまいましたが、要するに大事に扱わなくなってしまっていたのです。これはホントにいけません。




僕はこの国ではもろ過ぎるぐらい外国人なのですが、ずーとイスラエルの文化の中で生活してるとヘブライ語もたどたどしいくせに、イスラエル人を外国人として見ずに同じ国の人間と言う感覚が強く芽生えて来てしまっているのが強くて(もろ土着)自分が外国人と言う感覚が僕の意識の中から完全に消えており、本来ならば、外国人が海外で行動するに当たってパスポートと言う物に関しては、最新の注意を払わなくてはならないんですが、元来の面倒くさがりも手伝いパスポートの意味を完全に喪失してしまっていました。


アホみたいな話ですが、サングラスを無くした時の方が正直ショックだったぐらいです。




しかしっ!!そんな事も言ってられない状況が僕にはあります。。。

それは年に一度のビザ更新が来月の頭に来ていると言う事であります。。。

これはヤバい。果てしなくヤバい。

実は、先月一度ビザ更新の為にイスラエルの内務省(ビザ更新の事務所)に行ったのですが、書類が足りず再度内務省に来なさいと言われたのが、来月のあたまでした。


その時に一度パスポートさんと再会したんですが、『どうせまた来月内務省に行かなあかんし、そん時に使うから』と言う無責任な、考えが僕の脳内を凄い勢いで埋め尽くし、最愛のパスポートさんを’’本来ならば’’そっと置く所を、僕はポイッとイーゼル(キャンバス立て)の上に投げ捨てました。。。

もう、僕がパスポートさんの父親なら娘をそんな風に扱う奴には拳を上げてるでしょう。







そして、パスポートさんはとても静かに着々と埋もれて行きました。






しかし、パスポートさんと珍しく時を過ごす事もありました。

クレジットカードを発行する為に銀行に一緒に行きました。

母親からの荷物を受け取る為に郵便局にも一緒にいきました。

『そう言えば、あの時パスポートさん僕がおかんからの荷物に喜びのあまりキャッキャッしてると優しくそっと笑ってたな〜』



と、そんな事があったのですが。

家に帰ると僕はもうパスポートさんには全く興味はなく、またポイッとイーゼルの上に投げ捨てました。。。最低な男ですよ。。。




そして、先週の金曜日『日曜日銀行に行ってクレジットカード受け取らなあかんな〜。え〜とパスポートは、っと。。。。。ない。。』

部屋中くまなく探しても。何度も探そうがパスポートさんは姿を表してはくれませんでした。。。

最終的に僕の導き出した結論は、おかんからの送られてきた荷物を入れた段ボールを捨てる時に、一緒にパスポートさんを捨てた。と言う結論でした。

この話を友達にすると、アホだと言われまくりました。
再取得の為に日本から戸籍謄本を送ってもらう為におかんにもこの話をした時にも『あんたアホやね〜。』と言われました。


ホント僕もそう思います。
ビザ更新前にパスポートを捨てる何て事はアホがすることですわ。。。。





では、済まんな。。。。。





























ところがどっこい。







もしやと思い、郵便局に今朝行ってみた所。

いました!!パスポートさん!!





いや〜危なかった〜!!そして、よかった〜!!

もう、パスポートさん離さないからっ!!期限切れまでは大事にするからっ!!

僕に一生付いて来てくださいっと言わんばかりの感情は、特にないですが。





今後また、無くさない様に大事にしたいと思います。





と言う、僕以外全く持ってどうでもいい話を今日は長々としてみました。


皆さんも、整理整頓とパスポートさんの保管を厳守してくださいね☆



ちなみに、在イスラエル大使館に再取得の詳細を聞く為に電話し『パスポート無くして再発行したいのでいくつか質問があるんですが』、と係の方に言うと僕の質問に被って返答して来て、しかもめっちゃ高速返答と言う現象が起こりました。

ふしぎ〜な感覚でした。




と言う訳で、ちゃんっちゃんっおしまい。

ありがとう。

SO

































2013年5月10日金曜日

僕の照り鳥ー。 作品の巻




”現実の流れと僕の価値観”

現実と言う存在は純粋な存在だと僕は思う。
受け手によって現実は変化しているけど、現実と言う存在自体は純粋な状態を保ち続けて時間の中で流れている。
そんな現実の中で、僕は自分と言う壁を作り他人のエネルギーから自分と言うアンタッチャブルなテリトリーを守って生きている。
それは時に辛く、時に幸せである。

そんな変化し続ける僕の現実とは無関係に純粋な現実は、現実のリズムで自由に流れ続けている。

そんな事を表してみたんだんだんだ。

生きる意味とは何だろう? 肉体と言う存在って何だろう?

な〜んて事を数ヶ月間考えたりしてたんですが。

今は。

生きる意味はまだ分からないけど、その疑問の答えを出す事はとりあえず保留する事にしました。
だって、そんなモノ分かる時には分かるだろうから、んね。

今は分からない、それは分かった。だから、焦って気にしても仕方が無い。と言う事。

うまい飯を食いたいとも、美しい女性とSEXをしたいとも、作品が評価されたいとも、全く思わない。

他を慈しみ、愛するモノに対して一生懸命に生きていれば、そんなモノ来る時には来るし、来ん時は来ん。

それが、良いんでしょう。


ポジティブなどうでもええ感の中で生きております。26歳の僕。

ちょっとそれが分かった事は幸せですw


極論言うと、善人に迷惑かけなかったら何してもええんです。


形なんてどうでもええんです。





ちょっとこれはできないな〜。。。とお思いの方は↓

ほうほう自然体からの突きね、、、、でも、、、、、、
















結果、押されてますますやん!!



と言う事で、アディオスアミーゴ☆

ありがとう

So


2013年3月16日土曜日

あるバイトと根比べ。


”少しずつ温かくなって来ました、どうもエルサレムの聡です。”

あっという間の3月。そしてあっという間の2学期突入!!

早過ぎです。。。

前学期は殆ど死んでいた僕でしたが、今学期はいつになく真剣に取り組んでおります!!

しかし、前学期は仲間に助けられました。。。本当に仲間って大切です!!

左からカラムとニナとリランとミハル。

学校では選択授業の時以外は、ほぼこのメンバーと共に時間を過ごしております。

カラムはアラブ系イスラエル人。
ニナはロシア系イスラエル人。
リランはルーマニア系イスラエル人。
ミハルはポーランド系イスラエル人。

基本みんなで話する時は英語とヘブライ語が混ざった会話をするのですが、両親共にイスラエル生まれのミハル以外はみんな母国語が違うんです!!

カラムはイスラエル北部のアラブ人街出身で母国語がアラビア語。
ニナはモスクワ生まれで母国語がロシア語。
リランは両親がルーマニアで生まれ育っているので母国語はルーマニア語。
まあ僕は普通の日本人。

そんな5人でアホな時間を過ごしているんですが、これが面白いと言うかめっちゃ楽なんです。
学校から近いカラムの家に集まる事が多いんですが、ああでもないこうでもないと過ぎて行く時間に身を置いていると悩んでる事とが忘れられるし、アホな意識なく仲間として接する事ができる無国籍空間は僕を成長させてくれる気がしてます。

カラムとリランは"あの男はええ男や!セクシーや!"とfacebookを開いては言うてるし、ニナは何かに付けて"ヤング&ビューティーでいたい"と言うてるし、ミハルは独特の世界観の中からモノ言うてるし、僕はやたらと軽くうざい位に熱く語ってる。

お互いに何の気兼ねなしにモノを言える関係は本当に素晴らしい。

そんな関係が今の僕らの中にはある。

ほんまありがたいっすわ。

感謝、ほんまに感謝。
















と、奇跡の横っ飛びどころか本題を一度見失った前置きはここまでにしてっと。


え〜本題に行きます。


わたくし、週末は日本食レストラントの方で寿司を作るバイトしているんですが、昨夜どえらい忙しさを乗り越えた閉店間近に差し掛かった23時半頃、ふとっ!!

こんな出で立ちのキリスト教関係のお客さんが現れて店で一番多い量の寿司をテイクアウトでご注文!!!

正直クタクタだったので、『ちょ....まじで.....こんな時間から聖職者が寿司食うかねっ!!めんどくさっ!!』何て一瞬思ったんですが、またもやふとっ!!

前日にバチカンで行なわれたコンクラーベで選ばれたフランチェスコ・新ローマ法王のニュースを思い出し、僕はこう考えました。


『待てよ、このタイミングでキリスト教の人が大量の寿司??..................これは完全にエルサレムのどこかの教会で新法王誕生を祝う寿司祭が行なわれるやないかいっ!!これはおもろいっ!!』


おもろいやんけパワーを得た僕は、頭の中で勝手におもろい妄想しながら清い心で少しサービスをした大量のお寿司を


こんな感じのお客さんに作り、心の中でアーメンと称えました。

来週末もきっと清い心で僕は時給30シェケル(770円位)で寿司を握っちゃってるでしょう。


では、ご一緒にアーメン




再ちぇん。

So





2013年2月23日土曜日

歴然とした力関係





この映像はテレビ用に編集されたパレスチナ西岸地区にある村、ビリン村での日常を記録したドキュメンタリーです。


元の作品は本年度のアカデミー賞、長編ドキュメンタリー部門にノミネートされている作品でもあります。


僕自身もビリン村には何度も行った事があるんですが、本当にこの映画で描かれている様な事が現実に起っています。









”2009年に撮影したビリン村の金曜日デモの様子”


イスラエルに住み、イスラエルで学んで、イスラエル人の仲間と毎日過ごしているのが今の僕の生活であり日常で、イスラエルの感情と言うのも全く分からないと言う訳では無いんですが。。。。。

しかしこのビリン村で行なわれているイスラエル軍の行動には怒りしか芽生えません。

イスラエル軍の行動は、歴然とした力関係の中で行なわれている一般市民への攻撃です。

人として絶対にしては行けない事を平気でしている現状がイスラエルの側面にはあります。

その事を少しでもみなさんに分かって頂きたいですし、考えてほしい。




イスラエル人の若者が”破壊された5つのカメラ”を見た後の感想。
こう言う若者がもっともっと増えればいいんですが、、、、。

So
















2013年2月18日月曜日

神の土地イスラエル



この映像は去年の暮れに"B'Tselem"と言うNGOに支援されたパレスチナ人によって撮られた、パレスチナ内に建てられているイスラエル人入植地に住むイスラエル人入植者が近隣のパレスチナ人農家が所有する土地で作物を育てる(『育てたい』などと言うお願いではなく、一方的な決定)と言う事をパレスチナ人農家に伝えている映像なんですが、根拠がホンマに笑ってしまう程、無茶苦茶なんです。。。。

このイスラエル人入植者は、イスラエルはユダヤの神がユダヤ人に与えた土地だから、俺はここで作物を育てる。でも、君らも育てたいと言うなら俺も鬼やない。
こうしよう、この土地の半分で俺は作物を育てるから残りの半分は君らが自由に何でも育てたらいいじゃないか。これは平和的で紳士的な意見だろ?ええね?え〜ほんなら、あそこからここまで半分が俺で〜.......

いやいやいや。。。もう呆れてまう。世界中のまともな感覚をもった人すべてがビックリです。

何度もパレスチナ人農夫が、この土地は父親からもらった俺の土地で作物を育てたいなら勝手にあんたの国で育てればいい。と言うのですが、このイスラエル人ミラクル思想入植者は何故か、分からず屋のパレスチナ人やな〜的な感じで『いやいやいや、だから何回言えば分かるの?この土地はユダヤの土地や・か・ら、俺はここで作物育てるの。あんたも土地の半分使わしたる言うてるやんっ!!わからんかな〜』の一点張り。

こいつマジかっ!!と思うけど、こいつマジです。それが一番怖い。
そして、もっと怖いのはそれをこの国は後押ししている部分もあると言う事。

この入植者の柔らかい口調で、あなたの話も聞いてますよ〜一方的やないですよ〜でも、私の意見が正しいですよ〜的な話し方は本当によく腹黒いイスラエル人が自分の要求を突き通す時に使う話し方なんですが(僕の経験上)僕はこういう人、大っ嫌い!!猫かぶるにも程があるわ。

まあ、もちろんこんな気持ちの悪い奴らがいるだけが、イスラエルでは無いんですがw
一応言うとかんとね、一応ね。

あ〜気持ちワルっ!!えんがチョ!!

So







2013年2月10日日曜日

ああ、しとけば良かったとは思いたない。


僕にはお亡くなりなってから知り、心を掴まれた歌手が二人います。

それは、河島英五とマイケル・ジャクソンの二人です。

河島英五の”酒と泪と男と女”とマイケル・ジャクソンの"Heal the World"の二曲にはかなり思い入れがあります。

そして、アホな僕は何で生きてる間にコンサートに行かへんかったんやろ.........

何て、生きてる時は興味なかったのに今更マジで後悔すると言う、意味不明な事を思ってしまうんです。

河島英五の曲では、河島英五が大阪出身だと言う事もあり、大阪の男と言うものを学びました。男らしくいる事、おもろくいる事、無茶苦茶でいる事が大阪の男。すべての感情に素直でそれを受け止めてくれる大阪の土地と女。最高ですっ!!

マイケルの曲では、と言うかマイケルには見とれてしまうwwwホンマにライブのパフォーマンスにはほれぼれして心を奪われてしまうんです、もっすげー!!!ってww 
まあ、YouTubeですけども......。
せやから"Heal the World"の様な一見、”こんなん優しい顔して見るしかないやんっ!!もう、ええてっ。”と邪悪な心を持つ僕は思ってしまいがちな歌詞でも、”もっすげー!!!”マイケルが唄うと素直に聞き入っちゃうし”ホンマ、歌詞にある様な生き方せなあかんな.....。”って心から思える。(Make it a better place for you and for me And for entire human race. アナタの為にも、僕の為にも、全人類の為にも、良い場所(世界)にしよう。 )


ホンマはみんなこう言う生き方したら幸せになれる事は頭では分かってるんだけど、人間社会ってのはそうは行かせない一面を持っているのも現実。

せやから良い世界になる事を個人やコミュニティーが夢に思う事は出来ても、その夢を現実的に全世界が共有する事は悲しいかなできないのかも知れない。


だけど、そんな自分の心が擦れて行くのが分かるほど腐った現実に陥って、自分の事で精一杯で他人の事なんてちっとも感じ取れない事があっても、マイケルを見ると”まあ、でもちょっと自分なりに頑張ってみようかなっ”と一瞬ちょっと思える。

一瞬で消える想いであっても、”一瞬だけでも思えた事”が僕には大きい意味を持つ時があるんです。


僕は自分が今出来る事を精一杯やって地球や日本に貢献したいと思っているんですが、やっぱり経験値の少ない僕は無責任な感情を押さえる事が出来ない事もあります。

そんな時に一瞬でもスタート地点を照らしてくれる河島英五とマイケル・ジャクソンは僕のヒーローなんです。

腐ったモンを食らっても腐ったモンを又、他の人にパスしない。
改心してからは、恐らく守れてると思います......多分??


そして、自分の人生における行動に関して言えば今の所、ああしとけば良かったと思う事はありませんっ!!

So


ではっ!!

生まれは大阪・東大阪市っ、男に生まれて男を唄う。
大阪が生んだ”まことの男っ!!”唄ってもらいましょうっ河島英五でっ『酒と泪と男と女』!!
(歌謡ショー風)



生まれはメリケン・インディアナ州っ、黒人に生まれてなぜか白人風。
アメリカが生んだ"スーパー・ピーターパンっ!!"唄ってもらいましょっマイケル・ジャクソンでっ『Heal the World』!!


マイケルのこう言うとこも好きやわ〜☆





2013年1月1日火曜日

2012年、最後の作品

『空 kuu』


人は、たとえ同じ時間・同じ空間にいて、同じ何かを経験しても完全に共有できている真実はなく、それぞれの人間が持つ価値観や過去の経験や脳の自然的に発せられる感覚などで作り出された結果としての情報(真実)しかそこには存在していなくて、共有とは同じ意識下にいる人が形のない情報の概要部を一定方向性の強い形にして理解し、再構築している”結果”それが共有と呼ばれる存在になっているのではないだろうか?




この作品では、特定多数の日本に住む友人に空を撮ってもらい、
撮影者が存在する空間と時間の中で撮られた日本の空をカメラ→パソコン→インターネット→パソコン→プロジェクターと言うデジタル機器を通して繋ぎ合わされた情報(空の映像)としてイスラエルにある建物の天井に写し出しました。




デジタル機器を通して黒い箱の小さな穴から(大地から目出る生命のイメージ)撮影者が撮影した映像の元にある時間と空間の情報は100%共有する事は出来ないが、情報として再分割されプロジェクターから飛び出し天井に結果として写し出される迄の間に漂っている形のない情報(映像)は人が共有と呼ぶ情報を表し共有と言う存在の不確定さを表しています。



と言う様な事を、雑誌編集者の友人に説明すると
『つまり、ある歌を聞いた時、厳密に言えば人はそれぞれ違う感じ方をするし、作り手が込めた思いをすべて汲み取れるわけではないけど、歌のモチーフとなった事柄のぼんやりとした輪郭を多くの人は共有している。て言う事?
と、さっと綺麗にしてくれました。
厳密には共有は存在しないと言うのが僕の意見ではありますが、この友人の説明の方が完全にキレイですな、と思いますw


まさかの出来事に打ちのめされている、ここ最近ですがディプレスはアートには栄養だと言う事を仲間と呟きながら生きております。。。。




2012年を振り返りますと、夏に二度目の瞑想合宿的なモンに行って来たんですが、一回目の合宿の時の様な衝撃もなく一週間だんまりを決め込んで瞑想に集中することが出来ました。
そこで僕は何か『分かっちゃった』感が凄くて大勢で瞑想する意味とセミナーを聞く意味、全体から醸し出されるスピリチュアル感の意味の無さを相当感じました。
瞑想は凄くいいモノだと思うんですが、今あるスピリチュアルと言うモノのもろさを感じてしまいました。
と言うのは、スピリチュアルと言う言葉が一人歩きして宗教の様な存在になってしまっている様に思え、苦しみながら苦しみに立ち向かう個人の勇気と想像力と言う人間力を育てさせないんじゃない?何て僕は思っています。
『分かっちゃった』と言うのは僕の中の瞑想やスピリチュアルと言うモノに対するものであり、誰かの中の瞑想やスピリチュアルとは違うと思うので、あくまで個人の感想と言う事でww

誰かに、どこかにと他力に頼るのではなく、どこでだって自分を理解する事ができるじゃないか、そこに苦しみはあって当たり前の事だと僕は思う。
そうじゃないと本当の自分と言う意味不明な存在を理解できるワケがない。てかっw

2013年どうなるかな〜ww

So