2009年12月15日火曜日

砂漠




 人生初めての砂漠で僕は仕事でPARTYの写真を撮りました。

着いたのは夜の10時、砂漠の真ん中に張られたサーカステント。テントから漏れる光が届かなくなるともう足下なんて何にも見えなかった、見えるのは遠くの方の何かから漏れて来る光のみ。

その光でうっすらと照らされている地形、見える限りは草も木もない。
カラカラやな。そんな阿呆みたいな感想が太陽が頭上に来る頃には言ってしまいそうやなと思い、それだけは言わんとこうと何故か思う。

PARTYは12時位に始まると言うので、テントを張り寝る事にしよう、起きれば長い一日が始まる。モンベルの寝袋が深い眠りを誘った、『イーシヤーキイモ』僕のテントが微妙に揺れながら聞こえて来るアホな声。友達で僕より早く来ていたタルの声だ、『イーシヤーキイモ』笑いながらまだ言っている。全く笑えはしなかったけど時計を見ると1時を指していて、いい時間に起きれたので結果的によかった。

テントのチャックを開けて外を覗くとタルが笑いながらケバブを焼いていた。ケバブを食べ、手に付いた油をタルの服に擦り付けカメラを持ちサーカステントへ歩き出す。テントからサーカステントまで行く200m程の間、足下が見えず恐る恐る転ばぬ様にゆっくり歩く。

サーカステントには200人くらいのお客さんが踊っていたのだけど、写真を撮るにはこの人数では物足りないので、DJの写真を数枚撮り友達が来ていないかと会場をぶらぶら歩き始めた。

2009年12月8日火曜日

3月まで滞在できる権利


 実はビザが16日に切れるので何かしなくてはと言う状況にいました。

 最近イスラエルでも長期滞在しようとする外国人を国外から出そうとする為にビザ延長に応じなかっりしていると聞き、

これは厳しいなと思いつつも自分が今イスラエルから離れるイメージが湧かなくてあんまり焦ったり考えすぎたりする事はなくとても落ち着いていていい毎日を過ごす事が出来ていました。

 そして、本日ビザを延長する事ができました。ビザを延長する為に手伝ってくれた友達には本当に感謝しなければなりません。ありがとう。取れた理由の一つにはコンビーナと言われるイスラエルの社会はこれで出来ていると言っても過言ではない程のシステムと言うか絆と言うか、そのお陰ですんなり事務処理が行った事は間違いありませんがコンビーナの事はまた話しますわ。

と言う事で無事、3月までイスラエルに合法的に滞在できる存在になる事ができました。

ってか何でおりたいだけやのに許可取らなあかんのかなと心の底では思いつつ、新しいビザの証明写真には笑顔の写真を載せたとさ。ちゃんちゃん。

2009年12月7日月曜日

ID

 なぜ日本ではパスポートや免許書などのID類の証明写真では笑顔ではいけないのだろうか?

4年前に友達の笑顔で写っているパスポートの写真を見てから持っているこの疑問。そして去年、日本で免許更新の時に笑った写真をIDにして貰おうと笑顔で挑んだが、満面の笑みは却下され何度も取り直し最終的には微妙に笑みを含んだ顔まで目標を落とさずを得なかった。

日本では笑顔のIDがなぜダメなんだろうか? 
そんなん俺の勝手やないかいと思ってしまうのは僕だけでしょうか?

小さい事かも知れませんが、小さい事も言えない国なんて僕は嫌です。

では、風邪をみなさんひかないようにあったくしてくださいね。
写真は友達と死海に行った時の写真です。ちなみに死海の場所って世界で一番低い場所って知ってました?僕は行くまで知らなかったです。

2009年12月5日土曜日

 最近、自分自身の事で発見がありました、


   それは猫に興味がない僕。



 誤解を生まないようにお願いを込めて言いますが、子猫が目の前に居ても僕は何とも思わないんです。
 
 理由はおそらく僕の頭の中では猫とはもう風景の一部になっているからだと思うんです。と言っても嫌いな訳では全くなくむしろ動物は好きでムツゴロウ王国・どうぶつ奇想天外は要チェックでしたし、もし目の前で死にそうな猫が居たら助けるでしょうし、ぶつかりそうだったら避けますよw

 しかしながら、大阪の猫だらけの下町で育ち実家で犬を飼っていたからなのか猫に全く興味のない僕。そしてそれに最近まで全く気付きもしなかった僕。

猫は見えるのだけれど、見えない存在の様に存在している生き物なんじゃないかと最近真剣に考えてしまう事があります。ひょっとしたら僕と同じ様に思っている人多いんじゃないか?とも考えたりもしています。

 こういう事を考えると ふと猫だけではなく僕は色んな見える存在を見えない存在として生きて来たんだろうかなだとか。

 僕の脳に無意識の中でその思考回路が作り上がったのは、何らかの経験から来ていてその思考的経験や肉体的体験を呼び起こさない為の防御策なのかなだとか。

 いや待てよ、無意識的に作られただけではなくて意識的に作り上げていて意識的にそれを忘れている事もあって、その防御壁は突然フラッシュバックしてくる事があるな!!その時に自己嫌悪になって気分が落ち込んだりするんや!だとすると意識的に封じ込めるのではなくて消化と言うか分解と言うか、そう言う事を意識的にして行くと多少は気分の起伏をコントロールできるのではないか? 

と、僕は考えています。

無意識を意識的にコントロールするのではなく、意識的に物事と向き合う中で培われた経験が無意識の幅を広げ意識の自由度があがるのだと今思います。

うむうむ。

それにしても猫からこう来るとは思わなかったな。

2009年12月3日木曜日

地中海へ



 昨日はのんびりしようと思い海へ歩いて行って来ました。テレアビブはビーチに面しているので歩いて15分位でビーチへ来れるのですが、季節も寒くなりしばらく足が遠のいてたんだけど、やっぱり来てみると海っていいなって思えます。一時間程のんびりして帰り道市場を通り少し買い物を済ませ帰って来ました。
 普通の幸せな一日でしたww

ありがとう。

2009年11月27日金曜日

三日間




 昨日まで三日間エルサレムを中心に写真を撮りに行ってきました。三日間とも一日中歩き続けて相当疲れていたのかぐっすり寝る事ができました。写真の方は、またMUSUBUのWEBサイトに載せようと思っているので待ってくださいw
 正直、ぼくのカメラマンとしての技術はまだまだなんだと最近本当に感じます。それはネガティブな思いではなく、向上して行く為には絶対必要な壁なんだと思っています。そう言う壁がある限り成長できるのだと思うし、乗り越えて行けてこそ自分の未来が切り開かれて行くのだと僕は信じています。なのでまだまだへたくそな写真で悔しいけど、これをバネにもっともっと頑張りたいと思います。応援の方よろしくお願いします。

2009年11月19日木曜日

テレビドラマ 


 最近イスラエルも冬がすぐそこまで迫って来ています。だけどこの国の冬は夜だけ顔を出して来ます。と言うのは、日中の日差しは真夏の太陽程の殺人的暑さではないものの、半袖になりたくなる感情を呼び起こしますが、日が沈み夜が来ると一気に気温が下がりそんな時に半袖ではガクガクブルブル状態になってしまいます><だけど、あの夏の暑さを思い出すとこの位の静かな時期がいいなと思ったりしたりもするんですよね。
 友達の話ではこれからもう少し寒くなるみたいなんだけれど、それも今は少し楽しみになっています。
 と、季節はこんな感じなんですが。昨日までイスラエルのテレビドラマの番組宣伝用の写真を撮る仕事をして来ました。小学生から高校生位の子が見るようなドラマなので俳優の人達も僕と年齢も近く撮影自体はやり易かったんですが、なんせドラマの撮影の合間を縫って写真撮影をするので僕が貰える時間が5分や10分程しかなく、もちろんそんな時間では到底足りないので次の合間まで2・3時間待ち撮影をし、また待ちと殆どの時間が待ちだったし撮影時間も限られていて失敗も出来ないと言うカメラマンにしたら当たり前なのかもしれないけど弱プレッシャーの僕は緊張させられる状況だったんだけれど、二日目からは現場に慣れて撮影も順調にいけた事は自身にもなったし、ドラマ撮影と言う緊張した現場で仕事ができたと言う経験はこれからの僕に勇気をもたらしてくれるだろうと思えました。
 これからもっと場数を踏んでもっともっと楽しんで自分の写真が撮れるといいなと思うし、頑張れば出来るとも思えました。不安もあるけど、そればかり見ていてもしゃあないし、なんせそんなもん見てたら面白くない。同じみるなら自分をええとこを中心にみるほうがええですわ。ww

2009年11月11日水曜日

イスラエルの田舎町


 友達が家を買ったと言うので、遊びにテレアビブからバスで一時間ほどの町へ遊びに行って来ました。こんなにゆっくりした場所なのに、林の向こうにイスラエル軍の基地があり時折聞こえる銃声でその雰囲気は一瞬にして僕に異様な気持ちを抱かせる。
 あの乾いた音で人生が狂うと言う事を玉を放つ人間は分かっているのだろうか?

2009年11月7日土曜日

昨日の仕事






 最近週末は仕事でテルアビブのクラブのPARTYに撮影に行っているのですが、イスラエルでのクラブの撮影は中々苦労するもので、日本だと撮ってもいいですか?とこちらから声をかける事が多いのですが、こっちでは『hey!!hey!!take me photo!!』と肩をとんとん背中をとんとんと声をかけてきます。中には僕が他の人の写真を撮っているにも関わらず服を強引に引っ張って来る輩もいます。そんな時は僕は仕事ですが、もちろんめっちゃ怒りますwあかん事はあかんから言わんとねw
 写真を撮れば見せろと言われ、見せて自分が気に入らなければもう一回と半命令口調で言われ、また気に入らなかったらプイっとそっぽを向く態度の悪さwもう何じゃこいつ!!と笑ってしまいますwとまあ大変です。
特にGUY PARTYは大変で美に対してうるさいし、とんとんする力も男なんで痛いし、ちょっと昨日はきつかった。。。。。

2009年11月5日木曜日

今日のテルアビブ,






 今日は週2回の語学学校の日、宿題を方付けて少し予習をしようといつもより一時間早く家を出て20分程歩いた場所にある学校へ向かった。写真を撮りながら歩いていると、まだ5時前なのに空がゆっくりと暗くなって来た、もう冬がやってくるんだな。
 夜空を見上げた目にアパートの部屋の光が目に入る、夏とは違い窓は閉め切っている。そんな季節の変わり目のありふれた風景とありふれた感情が僕の楽しみのひとつ。

2009年11月2日月曜日

ヤホ





 ヤホ。テルアビブの街の南部にあるアラビア人街、夕方になるとモスクからコーランが流れ、街を注意深く見渡すとひっそりと数百年前の建物が残りイスラムの雰囲気が街を包見込んでいる。

2009年11月1日日曜日

テルアビブの街



ヨーロッパでもアジアでもなく中東の国とも少し違いう特別な雰囲気を持つ人と国、イスラエル。昔ながらの文化と色んな国からやって来た人々が持ち込んだ文化が交差して新しい文化が作られている街、テルアビブ。
今僕はこの街に住みこの町からまた新しい物を生み出したいと思っている。

2009年10月30日金曜日

雨の日





 今、テルアビブでは雨が降っています。それも雷が『ドッドーン!!』と唸りをあげる程の大雨です。   何か雨に対して思い出がない限りは、この文を見ても僕たち日本人が見ると、『雨なんや。』と思うぐらいではないでしょうか?そして、あなたが感じる雨に対してのイメージはどんなイメージでしょうか?みなさんそれぞれのイメージを雨に対して持っていると思うんですが、それは雨の副産物から産まれたイメージであって、雨その物から直接感じるイメージではない気がするんです。僕にとっての雨の副産物はイメージを生み出すと言う物なんです、例えば高校の時は雨が降れば止むまで学校に行かなかったので梅雨の時期に遅刻・欠席が増えてもう少しで留年の危機に立たされた思い出を思い出します。
雨が降ると視界が狭くなり、それによって自分の視野まで狭くなるイメージがするんです。とか言いながらも、見える範囲が狭くなって近い所にある物を真剣にみつめてしまったりする事で、新しい発見があったりして一人でテンション上がったりもするんですけどねw
 
 と言う様に、僕の場合も雨自体に何を思う訳ではないんです。それはきっと、日本には梅雨があり雨と言う自然現象に一年を通して付き合っているからではないかと思うんです。
しかし、イスラエルでは梅雨もなければ夏に雨が降ることもありません。以前にも書いたのですが、水はこの国にとってとても大事な宝物なので、それを生み出す雨と言うものにはとても敏感にこの国の人達は反応しています。雨が降れば外に出たくなったりうれしくなったりして雨その物に対して直接的な喜びを彼らは抱いています。

 それを見るとまた世界には色々な地域があって色々な人達が住んでいて、そして考え方はみな違うんだなと思ってしまいました。こういう事を誰かから聞くだけではなく自分の目で見て感じ考えれる事が、自分の知らない土地でくらす喜びなんだと僕は思っています。

 と喜んでいる間もなく、僕の住むぼろアパートでは雨漏りがポタポタと落ち始め、階段からは雨が川の様に屋上から流れ込んできています。これもまたいい経験ですねw


2009年10月27日火曜日

Gay party in Telaviv.



 先週末に仕事でgay partyの撮影に行ってきました。僕はGAYの方には何の偏見も特別意識もないのですが、gay partyに行くのは初めてだったので緊張と期待感を抱きながらクラブへ向かいました。深夜1時位にクラブに着き中に入って見ると男性がクラブ全体の99%以上を占めていて、このクラブはtelavivでもかなりの大きさなんですが満員御礼状態でした。
 僕は完全に圧倒されてしまい、まず落ち着こうと思いたばこに火をつけクラブの端へ向かい全体を見回すと、厳つい見た目の人や優しそうな顔の人、ほんとに街で見かける普通の人達が、あちらこちらで接吻をしているのが見え、これ又驚いたのですがよく考えるとここじゃ普通やなこれもと思えて来まして、落ち着きを取り戻し撮影に入りました。
 撮影中軽いお触りはされましたが、驚いてても仕方がないので、それを切っ掛けに写真を撮らさせてもらっていると、ステージでshowが始まり僕はステージ前に移動して男性のダンサーの躍動的なダンスを撮影していると、『美』が彼の動きから表現されていて単純に彼のダンスは何て美しいんだと僕はカメラマンの視点からそう感じ、また一ついい体験ができたことに喜びを感じました。

 Telavivはイスラエル国内で一番OPENな街としてゲイやレズが多く住む街でもありますが、イスラエルでは宗教的理由からゲイやレズの人に対して宗教家などから批判や意味のない暴力を受ける事があると聞きます。8月には同じtelavivでGay partyで何者かが銃を乱射し3人亡くなる事件があったばかりだったので、僕の行ったGay partyのCLUBの前には、マシンガンを持った警察官が目を光らしていたのが印象的でした。

こういう光の上にも陰はしっかりと根を張ってしまっていることが何とも悲しく僕は思いました。


2009年10月26日月曜日

もっと出して行こうと思い始めました。





 本日よりもっと自分の写真を出して行こうと思います。
目標は毎日写真だけでもUPして行こうと思います。
では、ヨーイ始め!!!
『木曜日の夜』

2009年10月21日水曜日

出会い。 


 出会いは人に勇気を与えてくれる、僕はそう思っている。

 こうして日本を離れ生活していると、自分は何をやっているんだと落ち込んで腐ってしまいそうになることがあるんです。自分で解決できるのが一番いいのだろうけど、やっぱり僕はまだまだ未熟でそうもいかないこともあり、そんな時に出会う人の優しさが勇気やチャンスを生み出してくれているように僕は感じています。

 相手の発した言葉の一片から自分自身が客観的に見えて、そこから今自分に足りないものが分かり行動に移そうと言う勇気をもらう、また感謝の心を抱き前を向いて一歩一歩、歩き出せるようになり、そう前向きに歩み続ける事でチャンスが産まれるんだけど、世の中っちゅうのは甘くないみたいで、そのチャンスを掴むのは自分自身がどれだけ真剣に夢の為に努力をしたかで決まり、同時に夢とはそう簡単なものではないことも再確認させられるんですよね。

 悔しいんだけど、時代もチャンスも動き続けているからいつまでも落ち込んではいられない。そこは自分自身の為に立ち上がりまた歩み続けなくてはならんと思っちゃうんです。

 まだまだ青二才の僕が言うのもアホかとつっこまれそうですが、人に何かを感じてもらえれるような写真を撮れるようになってみせる!と自分に誓っています。
 
 今自分が助けてもらっているように、いつか自分も誰かに優しくできるようにもっと頑張りたい。そう思わせてくれた出会った人に感謝の心を忘れずに。

ありがとう。
 

2009年10月15日木曜日

疑問に思う事。

 どこに行っても何をしていても、生きているだけで僕たち人間はゴミを出してしまう。
仕方がないと言ってしまえばそこで終わってしまうが、それでは進歩がなく自分勝手すぎる。
では、出来るだけ減らせるゴミは減らして行こう。では何があるだろうか?ちょっとした買い物でも使われるビニール袋に変わって、昔は使われていた買い物袋を復活させてはどうだろうか?
 もしかすると、このようにして生まれたのかも知れない『エコ・バック』だけど今では『エゴ・バック』になってはいないだろうか?
 環境保護運動の一つとして生まれたエコバック、使い捨て主義からの脱却の一歩として僕はとても意義がある動きだと思っています。今ではエコブームに乗り多くの人がエコバックの存在を『いい物だ』と認識してはいるんだけど、そこには疑問に思う事が多すぎる。

 僕が強く疑問に思う事は、多くの企業やブランドがオリジナルのエコバックを作り消費者に提供しているが、その数は今や日本の人口を遥かに超えているのではないだろうか?なのに『エコ』と名のつく物を作る事で企業やブランドのイメージが上がると思っているのか、彼らは作り続けている。

エコバックがゴミになっている何て事実は全く笑えもしない。一体本当の『エコ』とは一体どこにあるのだろうか?

エコバックはもっているだけでは何の意味も持たない只の袋であり、使われて初めてエコバックとしての役を果たすので忘れず携帯してほしいと思う。
 
環境を守る事を商売にする企業やブランドに僕は強い嫌悪感を抱く。

お願いです。もう少し真剣に環境というものを考えてみませんか?





追記。エコバックが万引きの温床になっていてその事がエコバックのデメリットであると書いてあるのを見たのだけど、それは個人のモラルの問題でエコバックの問題ではないと僕は思う。


 

2009年10月11日日曜日

阿吽の呼吸

 今日久しぶりに大阪の友達に連絡を取り話したんですが、会話の内容は近況を聞いたり思い出話をしたりこれからどう生きて行こうか、何て言うありふれた内容だったのだけど、そんな内容でも大阪の血が話の節々に笑いを絡ませ、ボケれば絶妙なタイミングと間で必ずつっこんで来ると言う会話方法なので笑いが止まりませんでした。
 僕は18で大阪を出てから大阪にはたまに帰って来る程度なんですが、帰ればみんな集まってくれおもろい事をしようと声をかけてくれます。何と言うか彼らとは物心がつく前からの友達で、青春時代を共に歩み共に笑った仲であり、僕が心からアホになれる同じアホ達で僕にとって彼らの存在は掛替えのないものであり そして、故郷そのものなんです。そんな宝があることも幸せですし誇りに思ってもいます。
 僕はどこに居ても大阪人なんだと思わされ、そして故郷があるからこそ頑張れる事もあるなと初めて思いました。 

そんな友達に一言いいます。
『ほんまお前らには感謝しますわ、おおきにな。まあ、ほんでこれからもよろしく頼むわ。』


2009年9月27日日曜日

最近の僕。

 イスラエルに来て合計3ヶ月半ほど経ち、大分落ち着いて生活が出来て来ました。来た始めの頃はこの国の持つ独特なリズムに圧倒されて地に足が着いていないような状態が続き精神面、肉体面的にきつく何をしていいのかが見えない日が続きました。
 だけど、今は自分がここで何を撮りたいのか、この国での自分のビジョンが少しづつ見えて来て一日の重みと可能性を今感じています。ビザの関係でどれだけ居れるのかはわからないですが、出来るだけ長く居たいと思っています。

2009年9月22日火曜日

新しい生活。

 こんにちわ。ヨーロッパから戻って来て4日しか経っていないのに2週間ぐらいたったいる気がしている僕です。
と言うのも、帰って来てすぐに友達の野外音楽パーティーに行きカメラマンをほぼ寝ずに24時間して今日は帰って来て初日に見つけたアパートを見に行き、なんと今はもう引っ越しをしてしまったw
急な流れなんだけど、一つ一つ濃い良い出来事があったせいなんだと思いますw
前回の3ヶ月では転々と色んな都市の友達の家に転がり込んでいましたが、今日からは一部屋の主として生活が始まると言う良い緊張感の中で創作できるので、すごくうれしいです。
明日はイスラエルの言葉ヘブライ語を学べる学校ウルパンへ行き入学してまいりますw
ああ始まりはいつもたのしいなw
So

2009年9月17日木曜日

始発の電車を待ちながら。





 砂地に建てられたせいで少し傾いたレンガ造りの建物が狭い通りを挟み立ち並び、

この街に住む人達は自動車動と歩道の間に作られた自転車専用道を思いっきり走りながらも、

週末には街中を走る水路をゆっくりと小舟で流れ、街の至る所にある様々な緑色を感じる事ができる公園でこれまたゆっくりと時間を過ごしている。 オランダ・アムステルダム

 

皆様お久しぶりでございます。いかがお過ごしでしょうか??

僕はと言うとイスラエルのビザの期限が迫り出国しなければ!と言う事で、

アムステルダムの友達の家に3週間程身を寄せておりました。

 

 アムステルダムがメインでしたが途中、気まぐれ人間の僕はベルリンにも一週間程身を寄せて見たりもしてみました。

ベルリンでは今も残るベルリンの壁などの、冷戦の残した建物と世界中からアーティストが集まる街ベルリンのアートを中心に友達に借りた自転車で街を探索したんですが、ベルリンの街は大きく一つ一つの移動距離が長くてベルリン滞在中僕の足とお尻はパンパンに腫れ上がってしまっていました。

 

 だけど、お尻を腫らした分、良いものを自分の目で見て身体全身で感じれた事は僕にとって大切な財産になったしこれから進んで行く為の栄養にもなりました。なので今も少し赤いお尻には感謝しています。

 

 アムステルダムに戻った後は街探索はもちろんの事、ベルリンからの勢いそのままに作品をまとめたフォトフォリオを作ったり、友達の子どもの子守りをしたりと本当に充実した毎日を送り少し太ってしまいましたww

 

 今回のヨーロッパでも刺激と栄養を与えてくれる良い出会いがありました。

中でも刺激を与えてくれたのは、ベルリンのアトリエで出会った日本人画家の栗原くん、

アムステルダムの友達の旦那のマレーシア人ラスタマンのサラーム。この2人の見せる優しさと探究心に僕は、自分の弱さと自分の可能性の2つを真剣に考えさせれました。

 

 イスラエルに居る時から気付いていた事だったのだけれど、もっと真剣に生きないと自分の目指す道へは到底辿り着けないなと言うのが今の心境です。

これから始まる第二章にもちろん不安も感じるけど、今はそれよりも期待と言うか探究心と言うか肯定的な感情が勝っているので『かましてやろう』と思います。


 今回の旅ではヨーロッパの雰囲気を存分に味わえました。イスラエルで鍛えられた図太く生きると言う効果が出たせいかもしれません。笑

 日本も夏も終わり、これから秋・冬と季節が寒い時期に変わって行きますが、風邪を引かない様に身体には気をつけてくださいね。ちなみにイスラエルはまだ暑いです。そして電車はまだきません。

2009年8月11日火曜日

熱で二度目のダウン。

 イスラエルに来てそろそろ3ヶ月が経とうかと言う僕ですが、扁桃腺を腫らしてしまい高熱は出るわ、喉は痛いわ、頭痛いわ、と完全に風邪を来てから二回も引いてしまい、しかもこれが長引いてしまうたちの悪い風邪で前回は2週間、今回は一週間寝込んでしまいました。
 悪夢は見てまうし最悪でしたよ。だけどほんま、このでっかい病人の僕を面倒見てくれた友人には本当に感謝です!! ありがとう!健康が一番と言うのは分かっているんでやけど。なかなか管理するのは僕には難しい>< 

2009年8月3日月曜日

同性愛への偏見






銃を乱射し3人の人が亡くなると言う事件が起った。亡くなった3人の内の2人は、16歳と17歳の未成年だった。そして、犯人はまだ捕まっていない。

 テレアビブはイスラエルで一番オープンな街で、毎年ゲイパレードも開かれるほど同性愛者

にもオープンな街で宗教色も他の街と比べると、本当に薄い。

しかし、ユダヤ教過激派の中には同性愛を認めておらず、以前にも同性愛者を狙った暴行事件

が起っている。(今回の事件は犯人がまだ捕まっていないので一概にはユダヤ教過激派の犯行

とは言えない。)

 そんな中、突然起きたこの事件。次の日街を歩くと僕ら世代を中心に胸にレインボーのシー

ルを貼っている人、レインボーの旗や同性愛をイメージした旗を持ちデモ行進をする人達、

店や家のバルコニーなどにレインボーの旗や飾りを掲げる人。

たくさんのひとがまだイスラエル中、世界中にある同性愛者に対してある偏見への抗議の印を

自らの意志で示していた。

 同性愛者と言うだけで、なぜ彼女達は殺されなければならなかったのか?

死ななければならいほどの、罪を起こしたのだろうか?

もし彼女達の罪を上げる者があるなら、それは明らかなデマであり偏見でしかない。

彼女達の死を嘆き悲しむ人もいれば、当然だと言う人もこの国にはいる。

なぜこうも壁を作り続けるのか?

他を認める事がなぜできないのか?

日本人の僕にも他人事ではない気がしてやまない。

So