2010年12月7日火曜日

記事が日刊ベリタにのりましたのでご報告いたします。

イスラエルでの山火事の記事です。

記事にも書いていますが、今年のイスラエルの乾燥はすごいものがあり洗濯物とか一瞬で乾いてしまうんじゃないかと思ってしまいます。以前オーストラリアのアデレードとパースの間の荒野を一週間かけて車で通り抜けた事があるんですが、あの時も大概乾燥しているなと言う印象がありましたが、今のイスラエルの方が乾燥しているんじゃないかと思っていますw

ただ、オーストラリアの荒れ地の大地は純粋に『うそやろ?』と思う程、当時、僕の感じていた地球よりも遥かに壮大だった事を今でもはっきりと思い出せます。あーいつかまた、あの地球の凄さが直に心にぶつかって来るような感動を味わいたいな、何て思っている今日この頃です。人間って本当に地球にとっても厄介ですね....でもこれは人間みんなが思っているのかもしれないな。

トダ

So

2010年11月30日火曜日

初体験。

『初体験』この言葉にドキドキしない人はかなりのタフネスさんぐらいではないでしょうか?
私、松澤 聡はタフネスさんではないのでまだまだドキドキしてしまいます。

さて今回の初体験は..........脱臼。

脱臼と言う言葉で思い出すのは中学時代の国語の先生のN氏、僕が登校を完全拒否している時に『怒らんから何で来んのか言うてみろ』と言われ僕は、少し黙り早よ帰らんかなと言う気持ちをこんもり込めて時計を見た瞬間。

完全に届いた僕の念は『なんや!早よ帰れ言うんか!』と言うN氏の怒りに変わって帰って来た事を思い出す。あの時に僕は大人は嘘つきでアホ何やなと確信した。

脱臼して何故N氏を思い出したかと言うとN氏は冬休み明けに必ずと言っていい程、肩を脱臼していた。

なんでも趣味のスキーはN氏のグラグラの肩には厳し過ぎるらしい。

今年は大丈夫!今年は絶対大丈夫!と自分に言い聞かせてゲレンデに出かけるも、やっぱり結局毎年三角巾をして授業をする羽目になるN氏のグラグラな肩は今年の冬も脱臼してしまうのだろうか?


そして、月日は流れ青春の苦い思い出と共にやって来た初脱臼。

僕の初脱臼は『小指』。

昨日の野球の試合でライナー性のボールをダイビングキャッチの着地を失敗してしまいその着地に僕の小指は悲鳴を上げ明後日の方向へ完全に向いてしまうと言う珍事。

その小指を見て僕は『折れてるやん!!』と思ったの同時に『真っすぐに戻さな!!』と本能的に思う僕。

人間って自分の身体に異常があるとすぐに元の様に戻さないと言う気持ちが瞬時に出てしまうんですね。

クリッと小指を元の位置に戻す事の出来ると次に、

『保険切れてるから折れてたら大変やったわ....あーよかった。』
『あの小指の曲がり具合で折れてないこととかあんねんな.....あーよかった。』
『............初脱臼やな。』

異次元の世界を目にして来たかのように、今ある現実とさっき目の前に現れた現実の接点が見つけれない複雑な気持ちになる僕でした。

今は強めの突き指をした様に重く固くなっている僕の小指が見せた奇跡の一夜でした。

という事で皆さん、ダイビングキャッチをする時は怪我に気を付けてください。

試合の状況次第では無理せずヒットにして確実にキャッチする方がいいかも知れませんよ。

と言う事で松澤青年の事件簿でした。

おぶりがーど。

So

2010年11月25日木曜日

2010年11月17日水曜日

有効活用。


突然ですが、一体このおじさんは何をしているでしょうか?

現代忍者じゃないか?ダンスの決めポーズじゃないか?何て想像をしてしまいますが、

実はこのおじさん、太陽熱温水器を修理をしている修理工のおじさんでした。

おいおい松澤くん太陽熱温水器がどうしたって言うんだい?

日本にだってあるじゃないかそんなもの。何て、声が聞こえてしまいそうな所ですね。

はいっと言う訳で今回は『太陽熱温水器』について話して行こうと思います。

簡単に太陽熱温水器の説明をすると、太陽光に含まれる赤外線をソーラーパネルで受けタン

クの水を温めてタンク内で保温し給湯する給湯器です。

すっごいのが、ソーラーパネルで受けた太陽光の40〜60%をエネルギー化出来ると言うソー

ラーシステム界一の交換効率を持つ強者なんです!!

使える用途の幅は違いますが、太陽光発電の交換効率のみを見ると7〜18%と言う数字があ

り、日本での設置費用も太陽光発電は百数十万円程掛かりますが、太陽熱温水器は何と25

0ℓ採湯で30万円程で設置できるんです!!

どうです!これは太陽熱温水器に興味もってしまうでしょ!!

実際、晴れの日の夜にはカンカンに熱いお湯でシャワーを存分に浴びれる事ができますし、

太陽光が少なくお湯の温度が足りないな、、何て日は電気を補助的に使って温めると言う保

険もついておりますw

でもまあ、太陽バンバンのイスラエルでの話なんで日本でどうかは全くわからないんですけ

どねwwちなみにシャワー中心のイスラエルでは80ℓ採湯の太陽熱温水器は7万円程度で買

う事ができます。

価格もですが、一番驚くのはイスラエルの家庭での使用度!!

何と90%以上!!僕はこれがない家を見た事がないです!!

なぜ、こんなに使用度が高いかと言うと、それはイスラエルの資源のなさと都市計画の未熟

さが関係しています。

中東なのにアラブ世界と敵対しているイスラエルは、まあ資源がない。

ガソリンも日本円で150円近くするんです!!

それに国土が小さく殆ど何も出ない天然資源。 びっくりしますわほんまに!!

そして、めちゃくちゃな都市計画。ここはまた今度書くとしますw

そんなイスラエルだけど、あったかいシャワーは浴びたい!!一日の疲れを取りたい!!

湯を沸かすにも木もないやん、、、何て落ち込むイスラエル人が天を仰ぐとそこには!!

カンカンに熱い光線を放つ太陽が、、、こ、これや!!

と言う具合にグイグイ太陽熱温水器はイスラエル全土をカバーして行きました。
(一部フィクション)

日本でもみんな使たらええのになーほんま。

本日もありがとうございました。

So

2010年10月17日日曜日

友達の家に行って参りました。

すっかりイスラエルでは和平交渉の報道は沈静化してしまい、まるで他の国の事の出来事のよ

うに過ぎ去ってしまうかのように感じてしまう。

こんな事を言ってしまうのは間違いなのかも知れないけど、当事者の客観視がここの現実でこ

れからもきっと変わらないのかも知れない、ここでの捉え方なんだろう。

それはアイデンティティを守ると言うよりも、メディアや教育が生んだものだと僕は思う。

何かと物語仕立てにする報道。そんな写真より、面白くなくても事実を事実のまま発表する事

が大切でしょう?

僕は面白くない普通の写真を撮る面白い写真家になります。

と言う訳で、友達の家に鮨をごちそうした時の写真をお送り致します。






普通の瞬間こそ、共有すべき写真で次の世界に残さなければならない写真なんです。

ありがとう。

So matsuzawa

www.so-matsuzawa.com

2010年10月10日日曜日

松澤聡の自由研究

 日本語を理解するみなさんこんにちは、松澤 聡です。

日本の日曜日をお過ごしの皆様、朝干した布団は取り込みましたか? 忘れてはいませんか?

と、日本のどなたかのふかふか布団を救出したところで、今宵は僕の自由研究を発表いたします。


ドン!!
釜戸サブマリーン!!!
ー着工から半年かけてゆっくり作ったと言うより、途中数ヶ月放置していただけー

基礎は黒土・赤土・藁を混ぜて作った泥でつくり、表面は赤土の泥でコーティングし仕上げは油を塗り雨対策しております。

米を炊き、汁を作り、お茶を湧かす。
ー三つの穴が作り出すモーニングタイムー


            35シェケルの煙突が煙を吐き出すぜ!           
ー秘密の穴に木を突っ込めー

もの作りは大切な時間ですね。形に残すと言う原始的なことは精神を素の状態に戻し次の一歩を後押ししてくれる気がします。

それでは、チャオ。

So

2010年10月3日日曜日

どこから来るのかそのギスギス感。

最近、何かと忙しく生活させてもらっており完全にブログを休んでおりました。

自分のリズムで書く事が一番なので、マイペースで行きます。

さて、思い出し笑いをしていないあなたに『ギスギス感』をお届けいたします。



おやすみなさい。

ありがとうw

So

2010年9月14日火曜日

夏時間終ーーー了ーーーーー!!!

はい、と言う訳で今年もやって参りました。あの手この手で、夏時間終了のお時間です。

季節によって日照時間が違うから、夏は時間を一時間前倒ししちゃいましょうよって言うコンセプトなんですが、これは世界では結構普通にどの国でもあったりするんですが、私が生まれた国は少し馬鹿なので、中々踏み出せないでいる夏時間ちゃん。

太陽が上がり過ぎないうちに出勤通学しちゃう?的な事をおすすめしているんですが.....。

一時間だけならそんなに変わらないだろ?的な事を言っちゃうあなた!!

時間は人間が勝手にきめてる尺度なんだと言うことを忘れてはいませんか?

地球は太陽の周りを一年かけて近づいたり離れたりして一周しているんです。だから温度も日照時間も違ってくるんです。それは季節によって場所によって誤差が生まれいるって事だがや!ほんだら時間も移動せないかんだがや! 

特に季節がはっきり違う日本なんてしなきゃいかんだろ!なんて事を思っています。


P.S  時間が変わったあと数日は体内時計が狂って少しつらインド。

2010年9月9日木曜日

新年を迎えました。

 九月にのこんな時期に新年を迎えましたイスラエルからお送りいたします。

『シャナトバ』=『Happy new year』なんて言われても実感湧かんわい!!

ちなみにユダヤ暦では今年で5771年なんですが、イスラエルでは数字では表現しないでתש"עというヘブライ語で表現すると言う個性的な表現方法をとっています。


ちなみにヘブライ語は右から左に読み『タシャー』と言う発音になります。
文字一つ一つに数字的な意味がありタシャーの文字を足すと771になり千単位は省略しているので5771年だなとイスラエル人は少し考えて答えを出しています。。


君らもややこしいんやないかーーい!!





とまあ、そんな訳で新年を迎え家族で夕食を囲むことになった僕は鮨が食いたいと言う情熱から人生初のにぎり寿司を作ってみた所、かなりのハイクオリティー度を出してしまいました。




『かかってこいやカッパ寿司!!!』と言うてしまうほどのナイス鮨でした。

ありがとう
SO

2010年9月2日木曜日

2010年8月27日金曜日

2010年8月21日土曜日

はっとした事

昨夜、おまかせ映画祭を我が家で開催しました。


正直最近のおまかせ映画祭(人が選んだ映画を見る事である)で、本当にこれええな!!と

言える映画に出会っていませんでした。



と・こ・ろ・がっ☆



来ました!!はっとしました!!

最近80'sが僕の中で流行っていて音楽も文化もこの時期にシフトチェンジした感があり最高

なんです!そんな情報を得たタマールさんが決めてくれました!デュドンンン!!!!



このデュンドン感はアバターのインセプションのそれとは違い、

もっとクリアでピュアでいい力加減なんです!







その映画のタイトルは『This Is England



始まりからビシビシきます!!さらに80'sが僕の中でハマっちゃいました。

2010年8月20日金曜日

他民族国家





 たまに、イスラエル人に『ユダヤ人って一体誰の事を言うんだい?』何てことを聞いてみると、だいたいは『ユダヤ教徒を信じていて、この土地に起源を持つ民族かな。』と答える。

だけど、僕は意地悪なので『じゃあDNA的なつながりはあると思う?』なんて事を聞く。そう言うとその人の思想によって答えは別れて来る。

シオニストや宗教色の強い人は『ある』と言う。中には『あるけど、エチオピア系はユダヤ人とは言えないね』何て事を言う人もいる。

と言うのも、白人系ユダヤ人以外は人口確保の為と信じている人が、この国には多くいるんです。

イスラエルはそもそもヨーロッパで生まれたシオニズム運動から生まれた国で(このシオニズムを称える人間をシオニストと言う)、始めは白人系ユダヤ人だけの国家を築こうとしたんだけど、ホロコーストで多くのユダヤ人が犠牲になり白人ユダヤ国家の夢は現実的に厳しくなってしまった。

1948年イスラエル国として独立宣言するも、人口問題は深刻だった。建国前後に多くの中東系ユダヤ人が国境を越えイスラエルにやって来たが、ここでは人口問題以外の問題を生む結果になった。それは白人文化圏出身の人間と、中東文化圏出身の人間との間の文化の違いだ。今では大分中和しているが、政府の高官の多く白人系が占めているし歴代首相は白人系のみである所をみると少なからず摩擦はある。

そして、イスラエルとって又新たな人口問題が現れた。それはパレスチナでの出生率がイスラエルの出生率より遥かに多く、このままではパレスチナの人口がイスラエルの人口を超えてしまうと言う問題だった。国際社会に向けイスラエルの生存権を主張する為には、ユダヤ人人口が、パレスチナ人人口よりも多くなくてはならない。

そこで、政府はロシアやエチオピアから多くのユダヤ人を誘い移住させ、パレスチナ人との人口比率の過半数以上を占める事だけに集中した。
人口増加計画は成功したが、この計画は人口増加のみが重要で、政府にとって移住後の事は結果的に当人任せになり、それは格差を生み、差別を生んだ。

白人系ユダヤ人がトップでエチオピア人が一番下の強固なピラミッドが、この国にはある。

そんなピラミッドが、『エチオピア系は人口確保の為にいる。』なんて事を普通に言ってしまう要因になっている。

また、ソ連崩壊後のロシアや旧ソ連の国からの移民の中にはユダヤ人でない者がユダヤ人として移住して来ている者がいると聞く。

僕には、これほどユダヤ!ユダヤ!と言っているイスラエル政府の本音は白人系ユダヤ人の為にイスラエルと言う国が守られれば、それでいいと言うように見えてしまう。

最後に、リベラルな考えを持つイスラエル人の中には『ユダヤ人にDNAの繋がりなんてないよ、文化的な繋がりだって微妙だよ。』と言う人もいます。

2010年8月12日木曜日

昼間の松澤青年。



慢性的な金欠に悩まされていた松澤青年は、カメラマン以外の仕事を探し始めた。

そらアホみたいな葛藤が少なからずありましたよ、カメラマンとして生きる事のアホみたい

なプライドが邪魔をしてね。

しかし、そんなものがあっては事を成す事は出来ない事を、今回身を持って知った。

僕はまだまだ夢見るアホ青年でありましたw

夢を信念さえあれば順風満帆に進むものとして見ていては行けない、

夢は信念を持ち、かつ人一倍頑張る事なんだと思う。

こと僕の夢に関しては、本間に頑張ると言う要素はかなり重要。

頑張る事は大事だと言うことを忘れてしまうのは、生き物としての生きる力が低下している

証拠だな。最近の僕は少しレイジィ青年だったんだと思う。

そんな松澤青年は週3のサラリーマン生活に突入した。

そう、人生初のオフィスワークである!! そして、電車通勤である!!


仕事内容は言うことは出来ないが、かなり今までの人生との接点がない業種である。

今の所ここから学んでいる事は、新鮮なものばかりで松澤青年の前頭葉をびしびし刺激して

いる。世界には表と裏があるんだなと。。。。



さて!電車通勤であると先ほど発表させて頂いたが、出勤初日にこんな事があった。

朝6時53分の電車に乗り、乗り換え駅であるテレアビブ大学前駅に向かう松澤青年。

無事、テレアビブ大学前駅に着いた松澤青年は、駅員に『パラデスハナ駅行きの次の電車は

どこやろうか?』と聞き親切な駅員は『7時半にプラットホームナンバー3から出発だ

ぜ!』的な勢いで答えて去って行った。

『20分位あるな』何て思いながら20分待つと、7時30分に電車が着たが間違えない様にも

う一度近くにいた駅員に行き先を伝え確認すると行くと言う事なので乗車する松澤青年。






これが間違いだった。本当に何で駅員一人の意見を鵜呑みにしてしまったんだ松澤青年!

何度もこんな感じで痛い目に会ってるだろうが松澤青年!この国に100%はなかとよー!!

何人かに確認しないといかんとよーーー松澤青年!!

下りるはずだった駅を猛スピードで過ぎる特急のディーゼルエンジン電車の中で松澤青年は

『さしぶりにやられたな...』と次の停車駅降り、また駅員に行き先を伝え時間とプラット

ホームを確認し、他の駅員にも確認し乗車前にも乗客に確認して乗り込む松澤青年。




ガタンゴトン、ガタンゴトン....................................................シューーーーン!!!!。



『おおおおお!ここで下りたいんですけどっ』の『おおおお.....』までしか心の中で言えな

かったけどね。

しっかり、駅を通り過ぎるディーゼル電車。

『Sorry Boss, Im coming late... I will tell u the reason later.』即電話の松澤青年。


着いた駅は、テレアビブ大学前。

駅を行ったり来たり............わしゃ桃鉄かっ!!(久しぶりにやりたいわ!!)

と振り出しに戻った松澤青年は何とか次の正しい電車に乗り込み、2時間遅れで出社。

入社早々重役バリの遅刻をかましてしまった松澤青年だったが、この会社はかなりのフリー

な雰囲気でやる事をやれば何したって良い的な会社なので、全くのノープロブレム!!

ボスも、『駅員何て信じたらダメだよ』発言で爆笑のみ。



みなさんもイスラエルの電車を利用する場合は気を付けてくださいませ。


ありがとう。

So
www.so-matsuzawa.com

2010年8月6日金曜日

人生はいつもあかんとは限らないみたいですね。と良く思える僕の人生。

 貯金残高2万円にまで落ち込んだ松澤青年の寂しい懐。
ああ、これはピンチだ。ほんまにピンチだ。最大級のピンチだ。

カメラマンの仕事を優先的に探すもあまり仕事が廻って来ない現実、他の仕事をするにもフルタイムでは出来ないので仕事がない現実。

うううん.....帰国?嫌々こんな形では嫌だと首を振る松澤青年。故郷に胸を張って帰りたい松澤青年w

悩みに悩んでいると、パートタイムの仕事を探している人がいるとの事!チャンス到来!さっそく電話して履歴書送って面接へ!!.うーーーむ........一瞬で採用決定!!(人手が足りなかったからねw) イスラエル在住決定!!

これからは週3で電車通勤のサラリーマンになりますw松澤青年ワクワクしております。


第一回イスラエル生活事情。

イスラエルでアジア人が仕事さがすのはビザをもっていても結構難しい><普通の飲食店とかでは結局ヘブライ語が話せないと雇ってくれない。と言うのもケチンボなイスラエリーは経費削減に何よりもシビア。だから、出来るだけ少ない人員で店を回したいからヘブライ語を話せない外人に仕事をあげる余裕はないんです。時給も本当600円とかしかくれないしねw
生活できないじゃないっすか!

例えばテルアビブのシェアハウスで家賃がだいたい月5万円くらいで、光熱費・食費・雑費なんかを含めた一ヶ月の生活費はだいたい15万円前後が普通のテルアビブ市民の生活基準だと思うんだけど、こんなん日本とそない変わらないじゃないかい!!

と思われ、思わず突っ込んでしまった方もいるでしょう。

そうなんです!その通りなんです!なのに時給やら給料がやけに安いんです!!

レストランの従業員とかチップのみなんです!

これではみんな給料の殆どが生活費に消えてしまっています。そして銀行の口座はマイナスへ突き進む。勝手な僕の見解ですが、イスラエル政府は若い世代の口座をマイナスにさせて国外に逃れられない状況を作って国民流出を阻止してるんじゃないか?何て事も半分本気で思っています。

兎に角、この状況はイスラエル人の若者にとっては辛い。

だからみんな言うのが『ビジネスを自分で開くのさ!!』金を作るにはこれしかないイスラエルでは全うな意見だと思うけど、アカン所は楽して稼ごうとする奴が多いことw

もっと働けー!そしてサボるなー!仕事中に大麻吸うなー!ドラッグ採るなー!!

2010年7月19日月曜日

記事掲載のお知らせ

http://www.nikkanberita.com/  日刊ベリタで写真が掲載されました。

記事は有料ですが、日刊ベリタは他ではなかなか知れない記事も沢山あるので、良かったら見てみてください。

2010年7月16日金曜日

夢達成の巻




 お久しぶりです。元気一杯!!松澤聡ですw

突然ですが今日は、少し昔話をしたいと思います。

僕が7年程前僕は高校生で、その頃僕は全国制覇を目指し野球をしていました。

僕の高校は府内でも強豪と言われる高校で練習は想像を絶するほど辛く厳しくて本当に

死ぬんじゃないかと何度も思った程です。

でも、それは僕の精神力と体力が未熟だったからそう思っただけで、

あんなもの余裕でこなす高校生はそれこそ山ほどいる。

10年も野球を続けて夢を見続けて来たのに、現実にぶち当たった瞬間あっさりとその夢に

終止符をうってしまった松澤少年....

その後何にもする事がなくなり、一線を保ちつつも腐って行く松澤少年。

『松澤お前どこの大学行きたいねん?』と担任の先生に聞かれた高3になった松澤少年は

『経.........大学とかですかね?』と進学クラスに入ったにも関わらず何にも大学の事が分ら

ず経済大学なら就職に有利だろうと就職したい業種もなにも考えないで言ってしまい謎の経

済大学進学希望者用授業を受けさせられ、そこでやっと『全然大学なんて行きたないわ

俺!』と気付く松澤少年。

自分の行きたい道を考えた松澤少年は初めて悟る『野球を辞めてから何にも夢が無いやん。

このまま大阪おったら腐ってまうわ。それだけは絶対あかんから国外に脱出して完全自己責

任状態に身を置こう!』と海が綺麗と言うだけでオーストラリアに出国☆

まあ、その後たくさんのええ人と出会い別れ又出会いやら、なんやらかんやらありまして、

今イスラエルで写真を撮る生活を送る松澤青年。

そんなある日、テレアビブで週末野球やってるらしいよと言う噂を聞き詳しく聞くと道具を

持っていなくても参加できるとの事!

『うわ!メッッチャやりたい!』と辞めてから野球に一切関わって来なかった松澤青年に電

光石火が走り即行きますと!伝えいざ週末!

行ってみると綺麗な天然芝のベースボールパーク!野球場ではなく、ベーースボールパーク

って感じでした。『天然芝はテンション上がるわw』と試合に臨むと........

奇跡のホーーーームラン!!自分でもびっくりの特大だが飛び出し試合が終わると一人の男

が近寄ってくる!!その男は僕にこう言ってきた.....



『僕のチームに入らない?』(長嶋茂雄バリ)



『にゅ!?』となる松澤青年。


『今日は野球を広げる為に開いているエキシビジョンで別にイスラエル野球リーグがあるん

だよ、そこに君も参加しないかい?』と『にゅ!?』となった僕をなだめる様に説明してく

れたリーグ戦首位を走るチーム『モディイン』率いる監督兼選手イラン。

話を詳しく聞くとリーグはもう終盤で残す試合はあと8試合ほどでそこからプレーオフがは

じまり優勝チームを決めるらしく、リーグの行われるベースボールパークは僕の住んでいる

村から自転車でも行ける距離にあると言うので、これはいいリフレッシュになると感じた松

澤青年は参加するも、リーグは週末のエキシビジョンの様には行かず日本の高校生レベル位

はあり始めは少し戸惑うも何とかギリギリついて行きチームメイト(アメリカ系ユダヤ人)

ひまわりの種を食べる方法とアメリカンベースボールスタイルを教わりながら勝ち進み、

一番サードの椅子を獲得した松澤青年はチームのイスラエル制覇に便乗に成功した!!

小さい頃夢見た全国制覇をスパイクを持っていない只一人、

運動靴姿の松澤青年は達成した!!!!!


えーーー今回の話は楽しんで頂けたでしょうか?

優しく見守ってくれたらなっと願っておりますww

運動は大切です!

ありがとう松澤聡。

PS
僕のイスラエルでの記事が日刊ベリタで掲載されるようになりましたのでよかったら見てください。
http://www.nikkanberita.com/

2010年6月22日火曜日

ふっとした時に思う。

 ここ最近イスラエルは、本当に暑くて参ってしまう......

イスラエルの家の作りは木材を一切使わないコンクリートの家が多いんです。
それは、夏の太陽の熱で木材の家は室内が異常に暑くなってしまうがコンクリートで家を作った家だと太陽の熱から室内を守ってくれるんです。

だから、コンクリートで固められた家の室内は比較的ひんやりしていて気持ちがいいw だけどそれでもエアコンが必要になる狂ったような日もあるんですけど><

そんな中!僕の家はコテージみたいな木造立てで、しかもエアコンが壊れていたので本当に暑くて何にもしたくなくて日中は近くの家に行きW杯をテレビ観戦していたんですが、今週中にやり終えないといけない仕事があったので日が沈んでから家に戻ったんです、が!.....まだ暑い.....日中浴びた太陽の熱が木材を熱し保温しておる!!モーーンとしとる.....

上半身裸になり窓全開!!室内はまだぬくいけど、うーーーん!文句ばっかり言えないので仕事を開始する.....

仕事自体はのほほんと出来て問題なく終わり、夕食を済まし寝る前の一服をする為に外にでて椅子に座り空を見上げる.....

昼間の暑さも和らぎ夜の静けさと少しひんやりとした風が僕を追い越して行く、なんて至福の時なんだと...........思っていたその瞬間!!


『どどおっどどおどどおどどど!!!』 え!?え!?何か来るっ!!!

空を見上げても何も見えず轟音だけが凄いスピードで近づいて来る!! 
ガタガタガタガタ!! えっ家揺れてるやん!! めっさ揺れてるやん!!
何!?ちょっとこれは近いぞ!おいおい!近いぞ!もしかしてミサイル!!?? 

っと近づく轟音は僕の小さな心臓を少しキュンっと締め付けましたが、次の瞬間2機の多きな軍事ヘリコプターが赤い光を点滅させながら僕の頭上数十メートルを飛び去って行きました。

ヘリコプターが飛び去ったあと、

こんな非日常的なことが普通にある国なんだここは...と言う再確認と、

人を殺す為のものって何なんだ...と言う疑問が僕の心を包んだ。


こんなヘリコプターが飛ばなくて良い世界に僕たちはしなくてはならない。僕はそう思う。

So

2010年6月5日土曜日

続・イスラエル軍ガザ支援船拿捕事件

http://www.youtube.com/watch?v=0LulDJh4fWI

先日、イスラエル人の友人からメールがこの動画と共に届きました。

その友人はこの事件についてイスラエル政府も支援船の船員も同じく選択を間違えたと言う基本的な考えを持ちつつも、9人の死者を出した事については同封された動画の情況下では致し方ない対応だったと言う意見でした。

昨日のイスラエルの報道ではガザ支援船に大量の持ち手が付いた鉄パイプや投石用のパチンコと石、ナイフなどが残されていた映像を船員が行った兵士へのリンチ映像と共に流しイスラエル軍の行った行為は正当防衛だったと主張し続けています。

昨日の報道や友人から送られて来た映像を見る限りイスラエル軍の行った行為は正当防衛の様にも見えるけど、IHHの立場からだと夜中突然軍のヘリコプターから兵士が乗り込んで来れば、身の危険は感じるだろうしそれが過激なデモグループの船員なら反撃してやろうと思うのかもしれない。反対に急襲したイスラエル兵の立場からだと上官に命令されて作戦通りヘリコプターから下降するといきなり鉄パイプで殴られれば、身の危険は感じるだろうしそれが相手を一瞬に制圧できる拳銃を持つ兵士なら力づくで制圧してやろうと思うのかも知れない。

しかし、結局は友人の言う通りお互い選択を間違えたのだろうと思う、ガザ支援船は名目上支援物資を『ガザの一般市民』に手渡す為にやって来たはずなのに抵抗と言う方向へ走り衝突を起こし9人の命を失った。イスラエル軍は交渉の時間を十分に持たず結果的に武力で制圧を試み9人もの命を奪った。

現在イスラエル世論はこの事件は過激派ガザ支援グループが起こした事件と言う風にとらえられ、肝心要の『ガザの一般市民への援助』が置き去りにされている、これは世界世論が生み出した問題でもある。船でガザに乗り込んで支援物資を渡そうがイスラエル監視のもと陸路で支援物資をガザに送ろうが、支援と言う観点から見れば結果ガザの一般市民の手元へいち早く支援物資を届ける事が先決ではないだろうか?

もう一つ、客観的にだけどパレスチナを舞台に国際的な支援団体のアピール合戦が繰り広げられている様にも正直見える、実際イスラエル兵を挑発する欧米人活動家もいるのも事実だ。そんな状況をみるとイスラエルだけに責任を持たす事は少し違ってくる様に思う、もちろん切っ掛けはイスラエルにあるんだけど、ここまで問題をややこしくしたのはアラブの中の権力争いやエゴ、国際世論の過剰なあおりも原因にありそれらが問題を進ませないでいることも確かである。
報道は一番末端の苦しんでいる人間を助けるべきものではないのか?

2010年6月2日水曜日

イスラエル軍によるガザ支援船拿捕後のイスラエル人の生活と反応。

知っている方も多いと思いますが、今月一日夜に起きたイスラエル軍によるガザ支援船団を急襲し拿捕した事件後のイスラエルの反応をここでは書きたいと思います。

イスラエルのNEWS SITE, Y-netの2日の記事ではガザ支援船団の主要団体 であるトルコのIHHは、ハマスやボスニア,シリアのイスラム聖戦士を支援しアルカイダとも繋がっている危険な団体であると紹介し、9人の民間人の命を奪った事に関しては、当初イスラエル兵は平和裏に拿捕を進めようと殺傷能力のないペイントガン緊急事態用の拳銃のみの軽装備で船に乗り込み制圧しようと試みたが、急襲により暴徒化したガザ支援船の船員がナイフや鉄パイプなどでイスラエル兵をリンチし拳銃を奪い交戦した来た為起きた自己防衛での中での事件だったと主張、又イスラエルは民主主義国家としてテロの脅威からの前哨基地であり、この事件はガザでの衝突ではなく文明の衝突だ!と主張。

と!で終わると言う何とも力強い記事だなと思ってしまったんですが、ようするに言いたい事は僕らは衝突なんか全く望んでなかったのに支援船団の船員が反欧米意識から攻撃して来たから身を守っただけでっせ。それに僕らは世界の民主主義国家を守る為にも頑張ってるんやで!的な言い回しにしても指して差し支えないと思います。

イスラエルの報道も世論も事件その物よりも、その後のイスラエルへの国際的な非難に対しての対抗心から自らの正当性を主張していると言うのが僕の意見です。

と言うのも、軍がデモ隊と衝突し死傷者が出たと言うニュースは日本から見れば大変驚いてしまう出来事ですが、この国では悲しいかな日常茶飯事になっていて報道機関も人々もさほど驚く人は居ないのが現状で今回の事もガザ支援船団と言う目の引く出来事であり世界から注目されていた最中の事件であった為、国際的な非難がイスラエルに集中しイスラエルの中でも大きく扱われイスラエル国民の中でいつもより少し紛争を考えさせられる出来事になっていますが、何か大きな変革が国民の中から生み出されるのかと言う意味では疑問を感じてしまいます。

思っていても行動に起こさない限り現実は何も変化しない。
損得勘定なしの行動が必要であり、それには強い意志と他を認める心が重要である。
時間は掛かるし体力もたくさん使う。
変革は意識の変化からではなく行動の変化から始まる.......

そう言う意識は今の所、この国から僕は感じ取れていません。
全てがいつも通りで一見平穏に見える毎日が混沌とした実際の現実の上を流れている。

しかし、それは日本も同じと僕は感じています。
プルサーマル計画、沖縄基地問題。たくさんの問題が日本にも山済みですが人は『はー、ふぉー、へー。』見たいな事をテレビや新聞の前で発声しているだけで、次の瞬間には一見平穏に見える毎日に戻っている様に思う。

僕もまだ一見平穏に見える毎日の住人やろと言われてしまいそうですけどねw
散々偉そうに言うてすいませんw

良い一日を!

So

2010年5月28日金曜日

怒ってます。

 仕事と運転免許何かでの忙しい日々が最近落ち着き、ふと思う。
最近は音楽イベントでのカメラマンの仕事が多いけど、イベントの最後には大概ごみだらけになっている。心と身体を解放して思う存分楽しむ事は大切な行動ではあるけれど、大多数の人間があまりにも身勝手過ぎる!!

音楽イベントを全てを解放していい日と勘違いした人間がそこら中にゴミを投げ捨てルンルン気分で帰って行く所に何でおらなあかんねん。何度言うて”もあとから誰かが片付けるからいいでしょ”何て事を言いよる。いやいやそんな奴に心を解放する資格ないで。ほんまに僕怒っています!

ゴミを簡単に捨てる奴はほんまに根性腐ってるか何もしらんアホやと思う。

ポイ捨てはほんまにあかん!!

2010年5月19日水曜日

免許取得とでっかい仕事。


もう夏です。あっついです。。。

5月の中旬なのに気温40度になるイスラル、そんな暑い日に外で働いている人を見ると尊敬してしまう。

僕もそんなに熱さに弱い訳ではないけれど、この国の夏は本当に殺人的熱さで参ってしまう。
去年の夏に外を歩く時には太陽から隠れる様に日陰を探しながら歩いていたwほんと嘘みたいやけど4割は本当の話www

そんな夏が始まっているイスラエルに僕は丸一年暮らしている訳だけれども、やっと『あれがスタート地点かな??』と言えるようになったのが現実の僕で、これからが一番努力せなあかん時期になって来るやろうし、その状況に常に持っていっとかなあかんと思ってます。

海外で生活して来て少し違う環境にいる自分は自分と言うものが見えているように思っていたけど、実際はそんなもんはクソみたいなもんで環境なんてもんはまやかしみたいなもんで実際には自分の周りが変化しているだけやから、そこで自分自身を本当の意味で見つめ切らんと何の意味もない、『でも、言葉とか文化ちゃうやん....』そんなもん理由にならん!!
言葉ちゃうなら勉強したらええ事やし、文化なんぞ住んで働けば慣れる。思想的な違い何て海外だけやない、大阪と東京も全然ちゃうがな。

環境がちゃうから何て事を自分のええように理解する方がアホらしいし、そんなもんをいつまでもぶら下げてたら何も学べへんで!ほんま時間の無駄やしアホ丸だしやで!松澤くんよ!ともう一人の僕が言うて来る。

その通りやな、環境は周りの事であって自分の事ではないがな!
大きな目標があるならそこにはそれより大きい強い意志が必要になる。それは自分自身にしかその意志を鍛える事は出来へん。
環境が自分を鍛える事には限りがあるけど、自分を鍛えて環境を変える方が無限の鍛錬ができる。
自分を鍛えてコントロールする事には絶対訓練が必要だと僕は思っています。その積み重ねがハプニングを生んで行くんだと思う。そう言う中で少しずつ自分の行きたい方へ歩んで行けるんだと思う。

一年間かかってやっとスタート地点一歩手前まで来れただけでもありがたい。

イスラエルの運転免許の教官に謎のやたらドヤされた事件もあったけど、自分を信じきって車の運転免許の試験もパスしたし。
でっかいイベントのメインカメラマンの仕事を依頼されるようになったのもありがたい。(ほんまはちょっと自分のしたい方向性とちがうんやけど....まあええけどね。)

そんなこんなで地道に松澤 聡やっとります。

2010年5月3日月曜日

旅行者から定住者に。

(注意)これから登場する僕の出会ったイスラエル人が全てのイスラエル人の性格ではないと言う事を始めに特記しておきます。そして僕は基本的には人の性格は国には作用されないと思います。

先週、待ちに待った就労ビザが内務省から下りイスラエルに住んでいるんだなと言う実感

とイスラエル国内で働けると言う安心感を持つ事ができました。

ビザ取得には準備期間も含めると5ヶ月程掛かったんやけど、その殆どが日本からの書類待ちやイスラエルでの書類審査待ちでその期間僕はビザなし状態でどこにも行けず家で農作業をひたすらすると言う気持ちのいい時間を過ごさせて頂いたんだけど、でも心の中ではいつもそんな書類一枚に時間かかんの!?と言う気持ちから何度となく猪木バリの『バカヤロー!!』と叫んでおりました。

しかし、周りの助けがあってこそ取れた就労ビザと言う事を忘れず謙虚な姿勢も大切です。
が、やっぱり日本大使館とイスラエル内務省には猪木バリの『バカヤロー!!』な気持ちです。この勢いのままもう一つ言うとイスラエル内務省の職員のおばはんにはほんまに呆れ返えりました、、、、。まず外国人へのビザ担当なのに英語が危う過ぎるし、僕らとビザの事を話している途中(仕事中)に突然私用電話を始めそれがやたらと長いし、予約した時間に行くと又私用電話してるし終わった思たら『ちょっとコーヒー入れて来ていい?』・・・・・。『なゃんでやあねん!!あゃりぃえぇへぃんやろ!!!!』(なんでだよ!!あり得ないだろ!!)と言う驚き70%怒り15%諦め15%の唖然状態・・・。
しかし、ここは我慢しよう。うん我慢我慢。
10分後(既に予定の時間より30分押した状態)
『ごめんちょっと休憩入っていい??朝から休憩取ってないのよ』・・・・・・・うん!!??『朝から休憩取ってない?ちょっと待って今まだ10時やんけ!それにこの10分おばはん休憩してたやんけ!!どゅんだけ自由やねん!!!!』

しかし、この国ではこんなこと日常茶飯事らしくここで怒ってしまうと今までの苦労が水の
泡にもなりかねないとのこと。責任感が乏しいとしか言えないこの態度で役所仕事がまかり
通るイスラエル。『バカヤロー!!!!』

しかし、職員とのコネがあればスイスイ事が進むこのコネクション国イスラエル。
こんなんで大丈夫なん!?って思う事が全然大丈夫なイスラエル。日本にこんな職員がいたらボロカス言うたろうかと思うけど、公私混同のこの国にでは何が起きるか分らないので悔しいけど我慢するしかないのが現状。

イスラエル人の友達にこの話をすると『イスラエルじゃ普通だよ、この国の政府は本当に腐っているよ』と言うので『俺もそう思う』と言えて少し気が収まりました。中々そう言うことは言いたくてもいい辛いけど言えるとスッとしてしまう僕がまだ居ましたw

当のおばはんは10分程休憩を取り戻り『ごめん今日時間通りに行ってなくて先にちょっと
この人達いい?』といい僕らより長く待っていた人を席に招き入れ、予約時間より一時間程
押し審査が始まりその一時間半後にビザが下りました。

このおばはんが今の所2010年度僕の反面教師NO.1です。

ああ恐カッッタ。

So




2010年5月2日日曜日

シェセック ータダは最高にいいー



 
 先日、二件隣の農家を営むイツィックが『農園のシュセック(びわ)もうこれ以上穫ると値が下がるから勝手に穫っていいよ』と伝えにやって来た。
 
イツィックは何かと世話をしてくれる50歳手前の僕の凄くいい友達。たくさんmanyをToo muchと言うお茶目なおじさん。


とまあ、早速今日自転車で五分程行った所にあるイツィック農園に行きバケツ一杯穫って来ましたww

日本に住んでる時は『びわか、、、他何ある?』的な失礼な態度をびわに浴びせていました僕ですが、今は違います!!

びわは甘さ控えめで、大きさも少し何か果物が食べたいなと思った時にちょうどいい大きさでベスト食後の果物賞を貰えるんじゃないか!?と陰ながら思ってしまう程の力量です。

そんなシュセックお試しあれ!!

So

2010年4月25日日曜日

死海へ行って来ました。本編


死海は世界で一番低い場所(−418m)にあるって知っていました?

実は僕イスラエルに来るまで聞いた事あるけど全く知らん場所だったし、それがイスラエルにある何て全然知らなかったんです。

こっちに住んでから今回が2回目で死

海でキャンプをするのは初めてだった

のでテンションは前日より上がってお

り朝から若干飛ばし気味で死海に着いた昼頃には少し疲れも見えて来ていましたが、死海を目

の前にするともう『浮いてやろうじゃないですか』状態突入。

しかし、テントの準備をしなくては、、、、、。ビシビシ照りつける太陽の下テントを組み立

て始めるがこのテントが地獄でした。全く誰も建て方が良くわからないと言う強者。

何本かの各駅面倒くさい電車の投げ出してしまえ駅に降りてやろうかと思うが、どうにかやり

過ごし無事にテント完成。

しかし、死海のカラカラカチンコチンの大地がテントのペグを拒否した時点で途中下車決行。

絶対に目には死海の水が入らない様に注意しながら入水そして身体が尋常じゃないほど浮き、

そのままひたすら浮き続け前回来た時に発見した死海の泥が湧き出る場所に、目に水が入らな

い様に深い位置で平泳ぎ(完全に足は浮いているので使わない)で移動し泥を塗りたくり。

待つ、、、、アラブ系イスラエル人の子供に絡まれ少し話し、また待つ。

死海にゆっくり入り泥を落とすと、、、、、、嗚呼嗚呼ああり得ない程のスベスベ感!!!!

奥さん、これは凄いですよ!! テュルテュルです!!!

とまあテンションも上がりきり、持って来たうどんを食べ終えた頃には熱さにやられたらしく

激しい頭痛に襲われダウン。。。。みなさん水は飲みたくなくても飲みましょう!そして帽子

もしっかりかぶりましょう!!

運良く翌朝にはよくなり、翌日もう一つの国立公園へ行きお家に帰ってきましたとさ。

あとから聞いたら僕たちが死海に行った日の気温が40度だったらしい。
(キャンプの場所は En gedi-http://en.wikipedia.org/wiki/Ein_Gedi バスで行くならエルサレムのバスステーションから一時間半ぐらい、キャンプは無料で近くにトイレと水シャワー完備です。あとキオスクもあります。)






 

2010年4月20日火曜日

死海に行って来たんだよ。part 1



 











連休を利用して死海キャンプへ行って参りました。http://ja.wikipedia.org/wiki/死海
死海へ行く途中に国立公園がありせっかく近くにあるならと寄り道する事に、そこにはやたら大きな岩と岩肌に点々とある小さな洞窟が小さな川を挟んであり、川下には魚と共に泳げるプールがぽつんとあるような所でした。

今シーズン初泳ぎは見知らぬ山の魚と泳げる深さ2・5m長さ10m程の謎のプール。

始めは微妙に深いプールと水の水質に少し戸惑い、

水際に立って見て次に思ったのは、
『魚くんよ僕に噛み付いて来りはしないよね?』

別に入らなくても良かったんだろうけど、もう入らなければならない空気に自分で持ち込んでおり入らないないと言う選択肢は既に僕にはなく謎のプールに一人で入ると言う行動をどう僕自身にGOサインを出すかを考えた結果、考え込んではもうこのプールに入る事が出来なくなると言う勢い任せに頼ることに。



異様に冷たい水を身体に掛け、心臓への思いやりを見せつつ自分に勢いをつける。


水が身体に馴染むのを待つと見せかけて少し迷ってみる。


恐怖心や疑心と言う物は案外通り過ぎるのが早く、一度通り過ぎてしまえば何だっけ?と思ってしまう程容易い心の変化だったりする事が多いんだけど。

今回も完全にそれでした。www

水に入って少し深さに驚いたものの数回プールを往復した後には楽しさと快適さが待っているだけでした。もちろん魚くんが僕を攻撃する事はありませんでした。

次回は死海編。








2010年4月16日金曜日

目覚めの良い朝。

 写真を2週間以上全く撮っていなくて、写真に関する事も全く行動に移していませんでした。
写真が嫌いになった訳でもなく、ただカメラを持つ気になれなかった。
焦りも不安も全く感じない静かな毎日を過ごし頭の中は殆ど空っぽで、まだ静かな朝の中に目を覚まし洗面台で顔を洗い歯を磨き1時間ほど目を瞑り、ゆっくり動き庭で育てている野菜と花にゆっくり水をやり家に戻って軽い朝食を食べその日の気分で場所を変えつつ「世界の終わりとハードボイルド・ワンダランド」をゆっくり読む。
昼前にもう一度庭に出て新しい畑を耕したり雑草を抜いたりしながら過ごし昼食のスープを2杯飲みまた「世界の終わりとハードボイルド・ワンダランド」の世界にもどり日が沈む。
日が沈んで2時間もすれば寝支度をして目を瞑りそして目を閉じる。

一生続いて欲しいとも思わない生活のサイクルだけど嫌いじゃない生活、そして身体と頭にいい生活。

だけどやっぱり一生続いて欲しいと思わない生活。

それは多分、この生活での僕が受信機だから。やっぱり僕は送信機でありたいとどこかで思っている、それには勇気と経験と知識そして多少の欲がいる。

 夢の中で僕は写真を撮っていた、久しく見ていない夢だった。

今日はいつもより早く起き外を見て一分も経たないうちにカメラを持って外に出た。

明日もこんな気持ちで起きれたら毎日がすばらしい日になるやろう、だけど明日は誰にも分らないだからもう気にする事はやめた、明日の為に今の気持ちを浪費させたくないから。

So

2010年4月13日火曜日

基本と経験と訓練  ディパサナ瞑想の旅



混沌とした頭の中と意識のない身体とは全く合致しない。

そんな奇妙な感覚が違和感となり、その違和感を違和感としか理解できない僕の歩み。

苛立を生み、自信が滑稽なものに見えて来て『一体僕はどうしたいんだ?』何て疑問の服を着た不安が足早に頭の中を駆け巡り、そしてまた足早に駆け戻ってくる。

どうしていいか分らない僕、どうにでもなれと言う僕。

弱い自分、強い自分。

それが反復横跳びの様に往っては戻りまた往っては戻る。

自分の中に自分がない自分、動きの中に静けさのない動き。

自分の事を自分が一番知っているようで、自分が一番自分を知らないような気が、ずっとしていた。

そして何か大きな欠片が足りないような。

切っ掛けは突然やって来て、僕は小川を流れる笹舟のように流れてゆき、水の流れのない小さなそして静かな場所に連れて往った。

そこでは駆ける事も反復横跳びをする事もできない、ただ目を瞑り全身の細胞を静め来るモノを拒まず、そして去るモノも追わず。

創造も破壊もしない今の自分に気付く時間そして感じる時間。

始めは静に気付き感じとれる身体にする為に時間を使い、静に気付き感じ始め、自分の中からどろどろとした意識や念が出始め心が乱れるが頭は使わずただ目を瞑る、

雨雲の切れ目から太陽の光が射し込み瞬く間に雨雲が消えてしまう、その光は神でも答えでも何でもなくそこに居たのは絡まった糸を解し現在の場所を再確認した僕だった。

まだ混沌としている部分はある、だけど今は頭と身体は合致している気がしている。

今僕がしたい事はしなくちゃいけない事ではない、したい事は何にも束縛される事のない自由な時間でありそれを気付き感じて考えて行動に移すだけだと僕は再確認した。

あの先は誰にも見えないし誰にも分らない、だから基本を忘れず経験を積み訓練して行くんやな。

そう思うと僕の乗った笹船は静かに海を目指して走り出した気がする。

みんなありがとう。

2010年3月16日火曜日

メンテナンス中。


 久しぶりの投稿です。イスラエルに来て早くも10ヶ月近くなりました、イスラエルに来てからの生活では、いい流れの時もあればストレスと言う悪魔に押し殺されそうになることもあります。僕は写真家なので、いい流れもストレスもその写真の持つ意味によって作り出されて行き、それは色々な場面から登場してきます。
 そう言う中で生活してゆけることは幸せなのかもしれないですが、幸せと言う状況ならなおさら今の状況にはプレッシャーが掛かっている気がして、果たして僕はそんなプレッシャーにも勝る根性があるのか..........。こう成るともうダメなんですよね。悩みがすり替わってしまって答えのない答えを探す事になってしまう。
 もう、見えないのなら見たくなるまで見るのをやめよう。なんてかっこいい事言いたくなりますが、僕はそうなると中途半端に見たくなってしまう性格なので、この方法は今の僕には恐れ多い。だけど、このままでもよくないので内に内に入ってみようとなりました。
 なので、今僕は脳内を廻り自分に必要な荷物を探しつつ要らない物を削除する作業をしています。フルモデルチェンジとは行きませんが、新しい自分を見つけれるようにと思っています。

では、また。
ありがとう。

So

2010年1月8日金曜日

新年早々


 風邪を引いてしまいました。
これで一年を通して病気にかからないと言う目標が早くも崩れてしまいました。

見た目は風邪なんかひかんやろ?的な身体ですけどめっちゃ引きます。
見た目は酒めっちゃ飲めるやろ?的な身体ですけど全然飲めません。

人は見た目では判断できないと僕は自らの身体を持って学ばされています。

と言う身体の心配もありますが、今一番心配しなければならない事は
悲しいかなお金であります。この世で一番僕に縁のないものですが、
これがないと正直生活できませんし写真を撮るために移動もできません。

日本で貯めた貯金も見る見る減って行くのを見ているだけでは、
先がないので今年はここの所もしっかり意識しながら成長して行かなけれ
ばならないな、とひしひしと感じます。

まずは身体を健康に保ち、写真を撮りたいです。

健康って素敵ですね本当。

ありがとう。

2010年1月3日日曜日

年末年始そして抱負。




 日本の様にクリスマスや新年を国民総出で祝う事のないイスラエルでは、普通に何もないかの様に過ぎて行きましたが、僕はクリスマスにはベツレヘムのキリスト生誕教会へ行き、年越しそばを食べ一人ぽつんと日本的に新年を迎えそれなりに楽しむ事が出来ました。
 12月31日にはパレスチナの首都ラマッラで去年のガザ攻撃から一年経ちその節目にイスラエルに対してガザ攻撃と占領・分離壁への抗議のデモがありその取材へ行って来ました。
 テレアビブの冬は日本の冬と比べるとジョークみたいな冬なんですが、エルサレムやパレスチナのヨルダン川西域地区も昼間は比較的には温かいと思うんですが、日陰いる時や日が沈むと指先の動きが鈍くなるほど寒くなり骨身に応えます。

イスラエルの友人に去年のガザへの攻撃から一年経ったよ、と言うと『もうそんなに経ったの?一年早いね!!』とまあ季節の風物詩か何かの様に言ってしまうびっくり発言が飛び出してきましたが、それは平時の国に生まれ育った人間からの感覚であって戦時に生まれ育った人間の一部にはこう言う言葉に何の罪悪感も感じないと言う事があり得るんです。

あの攻撃の事は忘れては行けないこと何だけど、イスラエルではたくさんあるぶつかり合いの一部でしかないと言うのが一般的な解釈ではないかと思います。
悲しいですし腹が立つけど、ここで喧嘩をしても仕方がないので、写真と言う形で僕はこの国に問題提起をして行きたいと思っています。

と言う訳で今年もより一層、
松澤 聡らしくかまして行こうと思いますので勝手ながら皆様応援の方よろしくお願い致します。www