2012年11月20日火曜日

So Sad....And, We can not feel just Sad.



This is just one part of Issue in Israel and Palestine.

And,I know Palestinian also Attacking against Israel in different way.

But, How can i listen to all of the Israeli explanation against palestine after this Video.......It's hard to listen and be cool.

But, Please don't miss understand all my friends.

Israeli is not only like them!!

There is so many great people like you have in your country.

This project that to record the israeli bad act by give Video camera's to palestine people is support by "B'Tselem"It's the Israeli non-governmental organization.

And, This project is not just for recording the israeli bad act.
This project is protecting palestine people from israeli illegal act by "B'Tselem" members.

I want to say one more time to you,
There is so many Great people Here in Israel and Palestine!!!
And, I know many people who live together with Israeli and Palestine.

Who can make Peace in This land??

Only Israeli and Palestinian can make real peace in this land.

We can support for make peace, not just criticizing.

SO

この映像はイスラエル/パレスチナ問題のほんの一部でしかありませんし、イスラエル人が皆こんな奴らだけじゃないのはもちろんなんですが、こう言う最低な行為を見ると幾らパレスチナもイスラエルを違う形で攻撃していると言うのが分かっていても、イスラエルの言い分なんて冷静に聞く事なんて到底出来なくなります。

しかし、今言った様にイスラエル人がこんな最低な人間だけじゃなく、この最低な行為に目を光らせ止めようとしている事も分かって欲しい。

このパレスチナ人にビデオカメラを与え、軍や入植地のイスラエル人の違法行為を記録・告発するプロジェクトはイスラエル軍の蛮行に目を光らせ、パレスチナとの和平を目指している。
そして、このプロジェクトは"B'Tselem"と言う名のイスラエル人弁護士・学者・ジャーナリストなどによって構成されているNGOによって運営されている。

この地に本当の平和をもたらす事ができるのは外国人でも国連でもなく、イスラエル人とパレスチナ人でしかない。

僕たち外国人が出来る事は、単なる批判だけではない平和へ向けてのサポートではないかと思っています。

SO

 
Lastly, this is the moment that under the Rocket attack from Gaza in My school today.
The Rocket landed in west bank finally.
この映像は今日午後2時過ぎにガザからのロケッド弾攻撃の空襲警報直後の学校の様子です。最終的にロケット弾はパレスチナ西岸地区に落ちました。


2012年11月18日日曜日

返事。



前回のブログ記事に僕の仲間から
"軍事力の差は歴然で、ニュースのコメント見てもイスラエル批判が多い。私自身も、なんであんな逃げ場もないような地区を攻撃するのって思うし、強者が弱者をいじめてるようにしか思えない。ロケット弾二発飛んできたって、じゃあ今までのイスラエル軍の攻撃どうなるの?って思ってもしまう。でも、出会ったイスラエル人の言葉を思い出す。二度と銃を持ちたくないって。"
と言うコメントもらいました。

このブログ記事は仲間への返事ですが、みなさんにも見て何か感じて欲しいと思い公開させて頂きます。




今回のイスラエルの空爆は、ここ最近急激に増え始めていたガザからのロケット攻撃(1日に平均30発一番多い日で70発ほど、空爆開始からは2日で130発で3人の一般市民が犠牲になった)を止めさせる為の空爆って言う風にイスラエルでは見られてて、空爆作戦開始前にもイスラエル側では軍人以外の一般市民にも被害が出ててイスラエルが急に空爆を始めたってワケでは無くて、ここ最近はロケット弾に関する対応がイスラエル国内で注目されていたんやわ。        
                                  
そんな中での今回の攻撃やったんやけど、イスラエル政府は空爆は無差別空爆ではなくてロケット攻撃に関与しているハマスの施設や幹部だけを標的にしたピンポイント攻撃やって映像も公開して強調してる。  
                                                   
せやけど、一般市民にも被害があるのも事実。
イスラエル側の説明では ハマスの施設が民家に隣接してる点と、この隣接している点はハマスが意図的に一般市民を盾として利用している、我々は一般市民の被害を防ぐ為に、ガザ上空から大量の危険なので攻撃目標となりうる施設と反イスラエル武装組織に近づくな!!  と言う様な趣旨が書かれたビラを撒いてガザに住む一般市民に注意を呼びかけて一般市民の被害を防ごうとしている。っと言う言い分やねん。 
                                                         
テレビやインターネットだけで見て判断する人は、そんなん只の言い訳やんって思うだけの人が多いけど、イスラエル人の感情としては"いやいやイスラエルの一般市民も被害受けてますから!!パレスチナだけが被害者じゃないですから!!"っと言う様な感情を持ってる人も少なくないしその気持ちも現地にいると無視できない。    
                                               
軍事的・経済的・政治的に強者のイスラエルがこの三つ全てに置いての弱者であるパレスチナをイスラエルのユダヤ人民族意識の下に抹殺しようとしてる。と言う構図が世界にはあってイスラエルを遠くから非難するけど、こう言う遠くから一点だけを見て全体像を作ってしまう考え方なんかじゃパレスチナ問題何て解決できないと僕は思ってんねん。                    
                                     
パレスチナ側に精神的・肉体的に被害が多いのは周知の事実で、クソみたいなイスラエル軍または兵士の行為がパレスチナ人の生活を無益に苦しめているのも事実やし、そのイスラエルの愚行がパレスチナの人々が反イスラエル武力組織に参加し、イスラエル軍と交戦し続ける道を選ぶ要因になっているのも事実。
このイスラエルの愚行は多いに批判するべきやと僕は思ってる。

だけど、もしイスラエルがガザからのロケット攻撃に対して何らかの対策(今回は空爆であったけど、他にも特殊部隊を潜入させて反イスラエル武力組織幹部を殺害もしくは逮捕する事も多々ある)をとらなければガザからのロケット攻撃は止まないどころか激しさを増して多くのイスラエル人が確実に死ぬ。 

ガザの反イスラエル武力組織は世界にパレスチナの存在を示し独立を勝ち取ろうと言う為だけに戦ってるんじゃない、反イスラエル武力組織は一人でも多くのイスラエル人を殺しイスラエルを滅ぼしたいと思ってロケット攻撃を続けている、それはイスラエル軍も同じでイスラエルに歯向かう反イスラエル武力組織の構成員を一人でも多く殺し反イスラエル武力組織を滅ぼしたいと思ってる。戦争の本質はこんな恐ろしい動機も含んでいる。         



だから、戦争ってめっちゃ恐いねん。最悪な存在やねん。
そして、軍隊を持つ国に住むって言うのは最悪最低なこの恐ろしい悪魔の様な部分も受け入れなければならない事実があるって事を考えて欲しい。
そして、僕を含める世界中の多くの人は自分や自分の国の置かれた立場や状況によってはこの悪魔を受け入れてしまえる要素を十分に持っている事を知って欲しい。



私利私欲の為だけに戦争するアメリカみたいな国もあるけど、パレスチナ(アラブ)・イスラエルの戦争は民族意識が深くあって、しかも1948年から64年も長い間続いてる現在進行形の領地戦争で、その分沢山の感情が深く複雑に絡み合っていてもう”バラガン(ワケ分からん状態)”で、そのバラガンがイスラエル政府や軍の愚行やパレスチナ政府の金銭的な腐敗を生んでいる状態が今やと思う。


避けられる戦争は絶対に避けるべきやし、その為に国民は自国に目を光らせとかなあかん。それは日本人も同じ事。



そして、銃を持ちたくないイスラエル人パレスチナ人も多くいて、共存を模索するパレスチナ人イスラエル人も多くいる事はきっと未来を変える様な気がする。



今イスラエルとパレスチナに必要なのは外圧ではなく、内を変える事やと思う。
その為には、多くの情報を共有し学ばなければならん。

他人を本気で理解し共存しようと思うなら、その人が持つ怒りの理由を本気で理解する事で近づけるんちゃうかな。

でも、それはとてつもなく難しい。。。

イスラエルではパレスチナからの攻撃はテロリストによるテロ行為だと表現される事が殆どなんですが、僕はテロリストと言う言葉が問題を一方側から見てしまう様に意識付ける言葉なので嫌いなんです。
ですので、このブログ記事では反イスラエル武装組織と言う表現をしています。(パレスチナから見ればイスラエルの攻撃はテロ行為でイスラエルはテロリストだから)

So


イスラエル
ガザ
イスラエルへの着弾
ガザからの攻撃
ガザからの攻撃
イスラエル軍がハマス幹部を狙ったガザへの攻撃

イスラエル軍がハマスの施設を狙ったガザへの攻撃

2012年11月17日土曜日

サイレン


本日、金曜日ユダヤ教の休息日であるシャバット入り後すぐの午後5時頃、僕の住むエルサレムにおいて空襲警報が鳴りました。

ロケット弾はエルサレム近くのGush Etzionと言うパレスチナ西岸地区に着弾しましたが、ケガ人はなかったそうです。

そして、今回の空襲警報は僕にとって初めての空襲警報でした。

大丈夫だと分かっていても、”もしかしたら.....”と言う気持ちが心に少しやどり、動揺とまではいかないですが、僕の心の中では不謹慎かも知れないですが、少しの高揚と少しの不安が混ざった様な落ち着かない気持ちが生まれました。

警報後、少したって爆発音の様な音が遠くから聞こえて来ましたが、その音がロケット弾の炸裂音だったかは分かりません。

僕は友達の家におり警報が鳴り止んだ後に外に出ると、数人の住民の方がアパートの階段に避難していました。
そして、建物の外に出るとユダヤ教徒の人達が話しかけて来て”携帯でニュースを見たか?一体どこに落ちたか分かるか?”などと質問して来ましたが、その時はまだ僕も情報が無かったので答える事は出来ませんでした。

何が起るか分からない状態だったので、一旦家にビデオカメラを取りに家に戻るとシェアメイトが料理をしながら”So大丈夫だった?エルサレムで空襲警報聞くの湾岸戦争以来よ、本当最悪だわこの国。心配する事ないよSo、Welcome to Israel!!”とジョークにしていました。イスラエル人はブラックジョークと政治の話が大好きなのですが、早速今回の空爆もジョークのネタになっていました。
まだまだイスラエル国民にとって大きなショックとまではいかないんでしょう。

他の友人も、今回のロケット弾だけでは国全体が好戦的にはならないだろうと言う様に僕もそう思うし願っています。

イスラエル政府はまず予備役1万6千人を投じ最終的に7万5千もの兵力で対ガザ地上作戦を準備していると言うニュースもあり、兵役時に戦闘員として訓練された経験豊かな予備役兵士が作戦に加わると言う事を意味しているんですが、何でも話せる僕の親友に戦闘員として兵役に就き兵役後も国家間の緊張がある度に軍から予備役招集されているが今回も招集されてしまうのかと思うと複雑な気持ちです。

彼とは今年の夏にイスラエル人の許可書なしでの立ち入りを禁じている、パレスチナ自治区内にあるキリスト教の聖地であるベツレヘムに外国人旅行者を装って入りました。(彼はイスラエル国籍と別の国のパスポートを所持しているのでパスポートを詳しく見ないとイスラエル人とは分からない為に外国人旅行者に化ける事が出来た。)
彼は初めてのパレスチナ自治区内に驚きを持ちながら、静かに目に焼き付ける様に見て回っていました。

イスラエルのチェックポイントを通過する時はさすがに二人してドキドキしましたが、特に問題なく通過できました。
その後、心配事の無くなった彼は"すごく楽しかったし見れてよかった、ありがとう"と真剣な顔で言われた時の事は今でも鮮明に思い出せます。

”いつか僕はスペインで静かに暮らしたい”と言う頑固な愛国者でもない僕の親友は招集令が出ればきっと出兵するだろう。
それは、イスラエル政府から援助を受ける立場にある学生にとって兵役に就く事は必要条件であるからかも知れない、イスラエルでイスラエル人として生きる為に必要な事かも知れない。

だけど、彼は心の中では”戦争何てしたくない”と強く想っている事は僕には分かる。
そう想って兵役に就いているイスラエル人は少なくない。
だけど、戦争は終わらない。



平和って何なんでしょう、本当。





※シャバット
ユダヤ教の休息日で金曜日の日没から土曜日の日没までの間、一切の就労(電気を使う一切のモノを動かす事や、火を使用する料理も禁じている)を禁じた休息日。
休息日はユダヤ教徒が多く住む地域では道路を通行止し、騒音のない静かな時間が流れている。
TVや携帯やラジオなどもシャバット中は電源を入れられないので、宗教者は情報を人づてで聞く事しか出来ない為、今回の攻撃は宗教者が多く住むエルサレムの混乱を狙ったものかも知れない。


So

2012年11月16日金曜日

イスラエル


本日、11月15日イスラエルのテルアビブ(イスラエル最大の街)エリアである、リションレツィヨン、ホロンに各一発づつガザから発射されたロケットが着弾し、テルアビブでは空襲警報が鳴り響き都市機能が警戒・非難の為、一時的に停止したと言う情報が流れて来ました。
なお、この2発のロケットによるケガ人はいなかった様です。

今回の攻撃は、前日のイスラエル軍によるガザ地区への※空爆に対するハマス(ガザ地区を実行支配する組織)による報復攻撃の※一部だと言う事ですが、今回のイスラエル軍による空爆も1日に約30発ガザから発射されているハマスのロケット攻撃に対する対抗攻撃であるとイスラエル国内では認識されています。

空爆開始前の11月11日にfacebook上にUPされた画像
 facebookにUPされたガザから発射されたロケット弾(イスラエル側からの写真)
イスラエル側に着弾したロケット弾(ロケット弾は手作りの小型ロケットである)
空爆開始前の11月11日にfacebook上にパレスチナ支援グループによってUPされた画像

空爆 
イスラエル軍発表によると、今回の空爆では230カ所の反イスラエル勢力に関係する施設や人間を狙った攻撃であると言う。
一部
イスラエル軍発表によると、イスラエル軍による空爆作戦開始時より南イスラエルを中心に、ガザから発射された100発近いロケット弾が着弾しこれまでに3人の死者と複数のケガ人を出している。


 空爆下のガザ地区
 イスラエル外務省よりUPされた画像。
 今回のロケット攻撃による空襲警報で避難するイスラエル人(テルアビブ)
ガザからのロケット攻撃で怪我をしたイスラエル人の赤ちゃん(一緒にいた家族3人は死亡した)
イスラエル軍による空爆で死亡したパレスチナ人の赤ちゃん

憎しみは憎しみしか生まない事を証明し続け体感してもなお、止む事のないイスラエルとパレスチナの戦い。
現実的には、力の差は明白でイスラエルの持つ強力な軍事力はパレスチナ人の身と心を痛めつけている。
しかし、パレスチナはその様な状況であってもイスラエルへの抵抗と攻撃を止めていない、この現状はパレスチナからの攻撃を直に受けているイスラエル人の身と心を痛めつけている。

僕の個人的な感覚的な現在の意見は、今回のガザ空襲とテルアビブを狙ったロケット弾攻撃はイスラエル人が日頃忘れかけているパレスチナ問題を思い出させてはいるが、今回の様な状況はイスラエルでは日常茶飯事である部分があり、実際に被害を受けない限りは国民自身が現実的に行動し大きな戦争になると言う様には思えないが、現在イスラエルは選挙を控えており、今回の事は右派である現政権には有利に働く事は確かである様に思う。

それは、パレスチナ問題の解決を遅らせる事を意味しているに近い。

イスラエルには多くの”イスラエル人平和活動家”がいて、イスラエルには大きな問題がありイスラエル国民はこの問題に目を反らしてはいけないとイスラエルに向けて啓蒙し続けている多くの”イスラエル人ドキュメンタリー監督”がいる。

その彼らが長い時間をかけて生み出した多くの”変化”は一発の爆弾が忘れさせてしまう。

だけど、最悪の状況下でも一度芽を出した種は絶対に育ち続ける。

花を出すまでは人それぞれ違うし、次の世代に渡る事だってあるだろうけど、きっといつか花は咲くと僕は信じている。





そして今日、僕の通うベツァレル美術学院のドキュメンタリーの授業で"Arna's children"と言うイスラエル人女性の平和活動家Arnaがパレスチナの都市ジェニンにある難民キャンプに住む子供達に表現する事を教える活動とその活動に参加した子供達のその後を追ったドキュメンタリー映画を見ました。

映画を見終わった後に、一人の同級生がパレスチナ側から撮られたドキュメンタリーで描かれた強者であるイスラエルの国民としての自分と自分自身としての狭間の感情を表した『軍隊は軍隊だから......』と言うその言葉は個人の感情だけではなく、イスラエルを現している様に僕は思えた。

ベツァレルの校風
ベツァレル美術学院は、芸術の学校と言う事もありリベラルな考えの先生が多く唯一パレスチナ人学生の校内での政治活動に肯定的な校風を持つイスラエル国立大学で、学生も比較的肯定的な反応(中にはそうでない人もいる)をしている。
Arna's children
主人公であるArnaとパレスチナ人男性の間に生まれた、このドキュメンタリーの監督であるJuliano Mer-khamisは去年何者かによってジェニンで暗殺されている。



So






2012年11月4日日曜日

十八禁 Tokyo Club Night in Tel-Aviv。


男は何も言わずに.........速攻公開。


注意!!音量に注意してくださいな☆
Soul&"Pimp"
Hifana
DJ MURO

行って参りました、Tokyo Club Night in Tel-Aviv。





もう、もう、もう、





最高と言うか、ありがとう!!

最高のパフォーマー達の最高のパフォーマンスに僕は完全にメロのメロで、次の日足ガクガクパターンでしたw



エルサレムのバスステーションも、もう人も疎らな夜10時過ぎにバスに乗りテルアビブへ向かい、更に人が疎らなテルアビブのバスステーションに着いたのは11時半頃。

エルサレムの時点でおしっこ感に苛まれていた僕はテルアビブに着くとそそくさと、こ汚いお手洗いへ。

そこには先客が。

まあみなさんもそうでしょうが、お手洗いに行って先客がいてもそう気にはしない様に僕も全く気にせず体内から余分な水分を放出していると。

若干ですが、違和感。

ほんと若干ですが、自分の居る空間に違和感を感じ始めました。

と言うのは、通常男性便器前は小鳥のさえずりすら聞こえて来る様な動きのない静けさに包まれている空間なんですが、僕のいる空間には静かではあるんだけど、居るはずのない小動物がどこかから紛れ込んでいる様な気がする。



と言うか、焦点は合ってないけど僕には見える

そこで、おそらくおっさんと思われる先客を見て変な空気になるのは、さすがに嫌だったので体内から余分な水分を出し終わってから手を洗っていると次のおかずがおっさんの隣に来たのでチャンス到来とばかりに出際におっさんの顔を見てみると。















おっさんとろけそうな顔してました。ってかっ!!




いや〜世界中にキワモノはいますな〜www


正直ネタになるっと思って面白がってました。


とまあ、とろけるおっさんを経て会場に着くと会場前はもう混沌っ!!

フリーエントランスだったので人が沢山集まり人数整理で会場に入れない人達が会場前の出入り口に殺到してしまっていました。

基本イスラエル人は列を作ると言う事を知らないので、人が集まる場所は混沌ワールドになり易いんですが、今回は出口と入り口を一緒にしてしまうと言う根本的な無知が更なる混沌度を上げてしまってもうモッシュ状態。あららrara.


中には2時間近くも待ったのに入れない人も居たらしく、とても残念なオーガナイズであったんですが、幸運にもいいモッシュ波に乗った僕は10分程で奇跡の入場。

あとはもう、ありがとうとしか言えません!!

4年間ポンニチに帰ってない僕にとって今回のイベントは最高の活力剤であり刺激剤でありましたっ!!


あざーーーーす!!

日本では風営法なんて言う夜踊っちゃ捕まえちゃうよっ何て言う謎法律がありますが、それは絶対間違いだと二万%思っております。

と言うか、学校でダンスを必須にしといて夜踊るなってどう言う事っ!!



僕のブログで2回目の登場のこのマスターピース!!







お◯にーはひとりでしましょう。

さいちぇん。

So strike schwartzman

























2012年10月25日木曜日

彼も相棒も大変だ。


時には踏んだり蹴ったりやな今日はホンマ↓

何て日も生きてりゃありますが、今日紹介するある男の踏んだり蹴ったりに比べれば『僕の踏んだり蹴ったり何てモンはちっちゃいわ、忘れよっとw 明日や明日!!』と元気になれます。


......................................................。



いや、ほんまに元気になるからwww

一度見ればあなたもちっちゃい事気にしなくなると思うんだなっ僕はっ!!(加山雄三風)

では、もったいぶっても仕方ないのでどうぞ召し上がれっw





シカをハントしようとしている彼に突然襲いかかるジャガー。
A!!絶対絶命の彼!!
彼『バッファローはどこだ??』.......時同じくしてバッファローはオオカミに襲われてしまいました。
バッファローHA!!


もう最強に踏んだり蹴ったりの状況ですが、彼もバッファローも最後には昼間の事なんて忘れて気にもせずゆったりと夕日の中に消えて行ってしまう。


ふざけた映像だけど、多くの現代人が忘れてしまった本来生きる上で大事なものがここには詰まっている気がして僕は大好きなんです。


ちなみに、

このビデオは

Buffalo Rider 』と言う1978年に公開された映画の映像を使って作られた、

『Guy on a Buffalo』と言う4部作立ての作品の一部なんですけど、是非全4作品始めから見て頂きたいっ!!

全部見ても10分ぐらいなのでサクッとみてサクッと元気になってほしいなっ僕はっwww

破天荒な彼とバッファローの旅を召し上がれ。








ふざけた内容とふざけた歌詞ですが最高ですw

特にエピソード3のバッファローとの出会いを回想した歌詞の中に(馬に乗って現れた彼が幼いバッファローを見つけ育てた後に)『食っちゃうかな?.....う〜んやっぱりこいつの変わりに馬を食っちまおうかっ』そしてバッファローを乗りこなしちゃう恐らく馬を食っちゃった後の彼。




..................................




大好きですこう言う

This is real Masterpeice man!!

そして、こう言うのを作っちゃうアメリカさん大好きですwww


では、最後に一言。

元気な明日は誰にでも作れるんですっ☆




See ya mate!!

ありがとう、素敵な明日を!!

So Strike Schwartzman





2012年10月22日月曜日

イスラエルの雑誌


学校が始まってしまった.......
嬉しいんだけど、今日の授業はマジでおもんなかった.....
一発目おもんない授業の行く末が気になりますが、気を取り直してどうも僕です。


最近見た日本のTVの中で"ああ言えば上祐"でお馴染みだった元オウム真理教の上祐氏が今、オウム真理教を総括して思う事は、僕を含めて信者達は"親に依存して→親に反抗して→親から独立すると言うプロセス"が出来ていない人間が、親の変わりに依存する存在として麻原に依存してしまった結果だと思う。』ってな具合に総括してたんですが、まあ上祐氏や信者達の責任は置いといて言葉自体について僕が思った事を勝手に書かせてもらうと。




上祐マジその通りやんっ!!


愛する親から完全に離れる必要は全くないけど、自分の未来を生きる為に必要心のUP DOWNに対してのセルフケアー自己責任を自ら負う当たり前の態度を取れるような心の独立と余裕は、人や動物や自然と共に生きると言う意味で欠かせないピースだろうと思っている僕は、この上祐氏の”何かに依存し続けている人間”の問題性をオウムを総括する中で示した言葉には説得力を感じてしまう。


僕も、このピースを完全に身につけたかと言うとまだまだだな〜と思う事もあるけど、特にDownに心が入ってしまった時とかわ...........




あ〜お金のこと考えるんもうマジで嫌やわ.......イスラエル時給安いくせに物価高いって...... 







あ〜嫌っ嫌っっ!! 
おもろい事何かないかね〜!!!!
















先日虫歯を治しに最近通っている”爆裂イスラエル歯科”にて待合室にあった
イスラエル軍の広報誌的な雑誌のイスラエル的には一見普通の楽しげな兵役中女子の集合写真的な1ページ何ですが、僕が注目したのは左下の青い何かを持っている女の子のシュールさに笑ってしまいましたw

UPがこちら↓



           と  

中々
20歳前後のパツキン少女が迫撃弾を持って笑顔で収まっている写真はどこの世界でも見ないんじゃないかと思いますが、ここは


                                   イスラエルでの普通のバスの中の風景

イスラエル人の友人達がfacebookに載せる写真の中にはこう言う類いがごろごろあって、正直今は慣れてしまったけど雑誌と言う形で改めて見るとやっぱりめっちゃ変やな!!と思い地味にツボに入ってしまった待合室での午後でした。







この鉄の塊での脅し合い・殺し合いの歴史はいつまで続くのでしょうか?

心から祈れば世界は変わる?
誰かが変えてくれる?


そんなんじゃ一生変わりません。

文句があるなら僕達は権力に対して働きかける事をしなければならない。

物事は白か黒で判断するんじゃなくて自分達の時代にあった色を探すチャレンジが必要なんじゃないかな??

時にルールを破る事も民主主義だと僕は思う★



れひとらおっと。

ありがとう

So Strike Schwartzman




2012年10月17日水曜日

悪名、名高いイスラエル443号線道路。


大きな地図で見る

※灰色の点線より右側がパレスチナ自治区で青色の線が443号線道路。

イスラエル最大の街・テルアビブからイスラエルの首都・エルサレムへ行くには1号線を通るか443号線を通るかの2通りの道しかなく、1号線は出勤時や帰宅時には渋滞になるのに比べて、443号線では渋滞になる事はまずない。


......何で?

それは、443号線が持つ特異性に関係している。

443号線は大都市を結ぶ幹線道路としての意味だけではない”イスラエルにとっての国防”に関する大きな意味を持っている、それはパレスチナ自治区内に道路を通し物理的に自治区内の村々を道路を使って寸断させ、精神的にも村々の交流を寸断し自治区内の横の繋がりを絶つ役割を443号線は持っている。

その為、パレスチナの反イスラエル勢力は幾度も443号線を攻撃の標的にしており、443号線の道路脇には高い防護壁がそびえ立っている。


そして昨日、443号線沿いに住むパレスチナ人住民が同じく443号線沿いのパレスチナ自治区内に作られたイスラエル人入植地に住む入植者がパレスチナ人住民に対してする暴力行為(パレスチナ人のオリーブの木を抜き取る)に抗議する為に443号線を封鎖したと言うニュースが流れていた。

前に入植地の事は描いたので興味のある方はこちらを参照→『入植地』



道路も攻撃の一部として使うイスラエル政府......こう言う所、大嫌いです!!

イスラエル人アクティビストの多くはこの443号線の持つ本当の意味(パレスチナ寸断)がある為にこの道路を全く使用しないでいます。

イスラエル・パレスチナ紛争は銃撃戦よりもこうした見え辛い戦いが毎日繰り広げられている紛争で、それは直接的な解決への糸口を消し去る要因になっています。

僕は毎日平和な日々をエルサレムでは過ごしていますが、少し車で走ればそこはパレスチナで、そこにはパレスチナ自治政府の腐敗によって国際支援の援助も受けられていないパレスチナ住民達がいて、たった数十キロの距離的違いしかないのにその数十キロ間の現実の違いは距離的違いを遥かに遥かに超えている。

日本にいるアナタ。
日本語を理解するアナタが少しでもこの問題に関心を持ってくれればと願います。

ありがとう。

So






2012年10月13日土曜日

次の世代へ。


この頃ブログの更新が女子高生並みの、え〜どうも僕です。SOです。

上の写真は”イスラエルで一番早口でキレイ好きじゃないのか?”と思わせる友人のダニと正反対(ダニが口うるさいので正反対に見えるけど、実は基準値内)のシリの”天使の存在を信じたくなる様な子供達”と一緒に描いた花です☆

ホンマ子供達と一緒に絵を描くってすごく新鮮で完成時のディティールを無視して芸術と遊ぶって言う純粋な感情にさせてくれるw

と言うのは、子供達はラインとか配色とか全く無視して色を重ねて行くし、チョークで描いた絵の上を気にもせずに歩いて折角の色をぼやけさせるし、もう普通なら無茶苦茶なんだけど、子供達の場合は過程が最重要で完成時のディティールはそんなに重要じゃないから。

この僕も本気で子供達も本気のコラボレーションはホンマにおもしろいw



最近Uncle Soになった僕は姪っ子、甥っ子にいつか芸術の存在を伝えたいな〜何て気持ちがすごく強くなって来てるんです。

”楽しい”が行動原理の子供達に、単なるお絵描き教室ではなく僕は”未知との遭遇の楽しさ”を僕なりに伝えたい、その体験は僕がそうだった様に何年も先に突然芸術の扉を開かせる布石になるかも知れないから。


僕は小学校の低学年の頃に地元の美術教室に通っていたんだけど、その時の先生がとても良い先生で見た目は”エレファントカシマシの宮本浩次みたいな風貌でジャージに便所草履でスポーツタイプの単車に乗ってやって来る”見たいな先生で、ある日先生が”お前ら木を描けと木が見える場所に移動し木を描いているとその”フリースタイル・ティーチャー”は僕の所に来て"お前、木って緑一色か?よう見てみ、影やら何やらで色んな色あるやろ?"と問うて来た。。。。

”まゃその通りやな”と僕も思ったので違う暗めの色を混ぜて描いていると"そのアーティスト"は又やって来て"こんな明るいか?もっと暗くないか?心を使えよ心を"と問うて来たでごじゃる。。。。

"は?やかましいなこいつ"と当時の僕は思ったので、もうキャンパスを真っ黒に塗ってしまうと"この便所草履"は"これやっ!!お前めっちゃええやんけ!!最高やんけ!!"ともうまさにベタ褒めでごじゃったが、僕は何が良いのかよく分からなかった。


だけど、それは初めて僕が芸術はホンマに何でもありなんやな〜と思った瞬間でもありました。


結局、野球好きだった僕はその美術教室を途中で辞めてしまったけど、心の中に芸術の種は宿っていて、今その種を咲かそうと頑張っているので、やっぱりあの"未知との遭遇は"価値があるものだったと僕は思う。

僕はそう言う種を次の世代に残す活動もいつかしたいなゃと思っとります。
もちろんその時は便所草履を履いてやりたいw

芸術はとっても自由なんです。


最後にこちらをどうぞ。


さいちぇん。

ありがとう。

So Strike Schwartzman





2012年10月11日木曜日

価値観、。




価値観。

何が大事で何が大事でないかという判断、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系のこと。


だそうです。
国や地域が持つ文化や宗教や政治状況、はたまた世代によっても違うこの価値観。

なんせ言いたいのは人の数だけ価値観はあると言うこと。

そして、こんな事はみんな知ってる。

だけど、この価値観と言う言葉を常識と言う言葉に置き換えると”人それぞれ”と理解する人は一気に少なくなるのは何でだろう。

それは常識と言う言葉には社会のルールと言う意味合いがくっ付くからだろうけど、その社会のルールと言うのはその社会に住む人々の様々な価値観から生まれて来るんではないのかい?

そんな柔軟性を持たない今ある日本の常識は、やっぱりおかしい。

そして特に日本はマイノリティー・グループに厳しいのも嫌だ.....。

それは日本と言う国が自らの国の仕組みである民主主義の本来の意味をしっかりと高等教育までに教えていないからかも知れないし、多数決を真剣に民主主義の象徴だと思っているからかも知れない。

ただ、それだけではない...何かが僕にはあると思う。
それは経験値の少なさだと思う。
つまり、完全に違う価値観を持った集団(人)に出会い触れ合う経験の少なさだ。

海外では異なった価値観を持つ人達が集まり社会に対してロビー活動や交流を積極的にくり広げ、社会やメディアもその存在を公認している場合がとても多い。たとえ、求めるモノが現行では違法であろうとそれは関係なく、憲法とはその時代のニーズに合わなければ意味がないと言う意識が文化先進国では根強いからだと僕は思う。

日本でもロビー活動や交流を積極的にしている団体はいくつもあるが、日本人は価値観が大きく違う団体(人)は "頭がおかしい" "早く大人になれよ" "私には分からない(と言う決めつけ的判断)" “オウム真理教”何て言う様なネガティブな意見が多く、そして地上波放送が主流の日本のメディアはスポンサーの顔色を見て都合が悪い報道はしないのが当たり前になっている。

日本は都合の悪い情報は国民には与えない、まるでどっかの社会主義国家の様だ。
それではいつまで経っても日本は文化後進国のままで、それでは行けないし日本のポテンシャルはもっと高い!!
現在の日本の文化の進化は上辺の流行でしかなく、本質の変化にまでは至ってないと僕は思っている。


もちろん日本だけではなく、他を受け入れられない人は海外にだっている

イスラエルに住むアラブ人・ユダヤ人の間の価値観の違いは『ホンマに埋まるのか?』と本気で思ってしまうほど、まだまだ違うし同じイスラエル人同士でも多人種国家のイスラエルでは白人系・中東系・アジア系・アフリカ系イスラエル人の間の価値観の違いも相当にあって一部では否定し合っている。
同じ様にアラブ系でもクリスチャンのアラブ人とムスリムのアラブ人とでは、全く違う。

かと行ってこのカテゴリーの中の全てのシチュエイションにおいて価値観の違いが見られる訳でもなく、フレキシブルな考えのムスリムやジューイッシュもいる様に定説的な価値観に捕われない人が多くいるのは日本にも海外にも当てはまる現実だ。


僕が言いたいのは、それを受ける社会と言う受け皿が日本と海外とでは天と地ほど違うと言う事なんです。


これは絶対に変えなければならない。

今の価値観が全てだと思わず、常識に捕われないでいて欲しい。

それはあなたの為だけでなく日本の為にもなるんです。

それが僕の今日の願いです。




最後に一つ動画を紹介したいと思います。



2006年のイスラエル・レバノン紛争の映像なんですが、2006年と言えば僕が高校を卒業して2年が経った年であり、僕と同世代のイスラエル人は兵役2年目の年になり、僕のイスラエル人の友人は兵士として加わっています。

この戦争で仲間を失った友人の一人はその後兵役を拒否し続けていると同時に、仲間の命を奪ったアラブ人達とは一生関わりたくないと言い。

同じくこの戦争に参加した友人は今も一年に一回数週間、軍に呼び出され訓練と勤務に就いている。『戦争は嫌だしアラブ人が嫌いってワケじゃないけど、俺イスラエル人だから仕方がないでしょ。。。』と言っている。


僕はイスラエル軍の過剰な防衛行為に対しては大反対の立場を取っていますが、自分の仲間に直接的な戦争経験者がいて生々しい話を聞くと、正直とても複雑な気持ちになります。

価値観の違いだけではない、”何か”がそこにはあるんだと思います。

だけど、僕にはまだそれが何だか自信を持って説明する事はできません。
きっとそれはこの国での経験が足りないからだと思います。

それを埋めるべく、これからも頑張って行きますので応援よろしくお願いします。

ありがとう

So



写真の絵はゴッホとゴーギャンが同居していた頃に書かれたイスの絵です。


2012年10月9日火曜日

I am FUDEBUSYO. 私は筆無精。



どんだけブリやねん。とつい自分に突っ込んでしまう位ヒサビサです。


このBLOGを書いてない間に面白い事は結構たくさんあったんだけど、何だか更新する気になれなくて.......これってやっぱりあれかな........夏の終わりによくあるって言う..........


......筆無精かなっ??


僕の筆無精はかなりの筋金入りでして、へいっ(江戸っ子風)。。。。

小学校の頃の夏休みの絵日記は、最終日に記憶と創造を織り交ぜてほぼフィクションで書いたり。

日記を書くぞと幾度と買った日記帳は始めの一週間で飽き始め、二週間目には違う用途に使われ、三週間目には無くなる。と言うような、何も残らないサイクルをほぼ毎年繰り返し。

ブログを初めて見てもやっぱり同じで書いては放置、そしてまた書いては放置の繰り返しで唯一、このブログファンであると公言してくれている兄貴の奥さんのおかあさんから放置し過ぎて安否を本気で心配される始末。(この場を借りて、おばちゃんありがとう☆)


きっと是は治らないと思う。


唯一続けているのは、メモ帳に思いついたモノを書き込む事ぐらい。
これは他人が見ても何も面白くないであろうと思われるThe無駄Informationメモ帳だけども、僕にとってはとても大切で常に鞄に入れる重要品なんだすよ。

ちなみに最近書き込んだのは”干し芋の作り方”だす。



と言う訳で、どうも僕です。Soです。




イスラエルは昨日まで6日間の連休でして(ちなみにイスラエルは世界で3番目にホリデーが多い国らしいです。)、その間にエンプティーハウスと言うアートグループが主催する※スクワットした施設で行なわれた"キブツ"と言うアートエキシビジョンに参加しており、その準備なんかでこの2週間ほど肉体的にも精神的にも酷使した感があり、『Soくんセルフケアーせなあかんよ〜』状態、簡単に言うと軽く荒むと言う状態にアートエキシビジョンに参加しているにも関わらず陥ってしまいました。

今はかなり落ち着きましたけどね。

もうちょっと一人の時間をしっかり見つめ直して、やる事はしっかりやりたいなと思っとります。
きっと自分を知る事と自分を試す事が僕には足りて無かったんだと思います。。。。。。そう思う事にします。。。。www

そんなこんなで学ぶ事が多かった今回のアートエキシビジョン、今後はちょっとオタク級に籠って作品を制作しようかなと思っておりますので、これからも応援の方よろしく願いします。



悲しいですがお別れの時間がやって来たようです。。。。
では、本日のビデオを数点紹介してお別れしようと思います。

本日はユダヤ教の経典(トラ)を全章読み終えた事を祝う日であり、この日はデッカいトラの巻物を抱えてユダヤ教徒の男性が踊る姿が、僕の住むエルサレムでは多く見られました。
その一コマをご紹介させて頂きます。また次の日になれば始めから読み始めるんですけどね。。。。




と!!エキシビジョンからの一コマです!!
音楽 Ariel Armoni ダンス Takanori Kawaharada 舞台・VJ So Strike Schwartzman







最後に良い話をちょっと。

今日、車を運転してるとラウンドアバウト近くの信号のない横断歩道のある道の脇に5or6歳ぐらいのユダヤ教の伝統的な服装をした見た目だけでオーラを感じさせられる女の子がいたので車を止めると、女の子は横断歩道を渡り始めちょうど車の前に来た時に"ふっ"と僕らの方を満面の笑みと共に振り向き、大きく通る声で『トダっ』(ありがとう)と僕らに言うとそのまま"すー"と歩き去ると言う、もうこれは”事件”とも呼べる様な衝撃に僕とタマちゃんは襲われ二人そろってたった今、目の前で起きた"特別な雰囲気を持った女の子が見せた清々しく力強い光景"に涙腺が持って行かれると言う事がありましたw
心からの”ありがとう”って何て素晴らしいんだろうと言う事を再確認しました。

ありがとう。いや、ホンマにw


※スクワット(SO流辞書)

所有者のハッキリしていない建物や放置され続けている建物に水道や電気を引いて勝手に住み着く行為。ヨーロッパではスクワットが違法でない国も多く、更にある程度の期間住むと居住権的な権利も主張できる様な国もあると聞く。
ってな具合でヨーロッパでは結構盛んに行なわれていて、僕がヨーロッパ・ピンポンダッシュ珍道中をした時もスクワットされたアートスペースや住居をよく見たのを覚えている。
それはヨーロッパ文化のアートに対する理解から来るものが大きいし、違う観点では異常な寒さのヨーロッパの冬から身を守る為にホームレス達がスクワットする場合があり、そのホームレス達に対しても理解があるんやっと言うのも聞いた。
『どうせ取り壊すから騒ぎを起こさんかったらええよっ』っ的な感覚が建物の書類上の管理者の理解があるのかも知れない。
もちろん、そんなビューチフル・ストーリーばかりではない見たいだけどw
でも、僕はそう言う基盤があるのはすばらしと思う。
ところで、イスラエルはまだまだスクワットに対する理解は薄く、エンプティーハウスにスクワットされた建物はことごとく閉鎖を強制され、今年は既に3つもの建物を転々としている。
エンプティーハウスはスクワットした建物に水道や電気を引き、お風呂も台所もトイレも作り、廃墟を普通に人が生活できる様に変えてしまう。そして、基本ヒッピーマインド。






2012年9月13日木曜日

行って来ました岩のドムドムさんへ。




4年住んで初めてこんなに近くで見たけど、ごっつモザイクがいい感じ★

すかし、一緒に行ったスペイン人の友達が離れた所にちょこんと座って目を閉じ軽い瞑想していたら、ものの5分程でアラブ人登場!!

『お前ムスリムじゃないな!!ここで祈るな!!お前の神はここにはいない!!』

さすがアラブ人!!アッラーは偉大なり!!と日々称えて、他を認めない宗教感の中で暮らすマッチョマン★

中東全体かもしれないしイスラエルだけかもしれないけど、この地域のムスリムの大多数はプライドだけが異様に高くてイスラム最高イスラム一番!!と言う雰囲気が凄まじい......


もちろんそんなアホばかりではありませんよ☆

数年前に一度、しっかり断りを入れてからモスクに入ると他のムスリムに囲まれ『お前ムスリムじゃないな!!なんだこの長髪は!!なんだこのピアスは!!』と髪は引っ張られるわ、ごっつ押されるわ、あまりにもしつこく高圧的だったので、ムスリムの礼儀に反したんかも知らんけど”キレたろかっ!!”
と思って立ち上がった瞬間に ”The 紳士" と言わんばかりのムスリム紳士が僕とムスリムさん達の間に入り、何やらサクッと話をするとムスリムさん達はそれぞれ散って行き、The 紳士は僕に『彼らの言動を許してくださいね、どうぞ好きなだけ祈って行ってください』.....嫌さすがにこんな雰囲気では祈りもクソもないな、と思い僕は紳士にお礼を言いモスクを後にしました。

ユダヤ教なんてユダヤ教徒じゃないけどキパさえ付けさえすれば(女性は長袖長ズボンまたはスカート)シナゴーク(ユダヤの教会的な場所)に幾らでも行ける。

キパを付けるライオンハート

他の大抵の宗教だって同じ様に行けるのよん。

すか〜し!!ムスリムさんは厳しい.................
マレーシアのブルーモスクはOKだったのにな.........アジアンムスリムの方が僕はええわ。



友達のムスリムは地元に2つ高校があり、一つはアラブ・クリスチャンの高校でもう一つはムスリムの高校だったそうです。
平穏な生活を求めた彼はムスリムでありながらクリスチャンの高校に行ったそうです。

ムスリム世界で生きるならムスリムの文化や風俗・気質と言うのを押し出さなければならないのかも知れませんが、世界はムスリムだけがいる世界ではない。

ムスリムが成した歴史的功績は莫大なモノで、ムスリムがいなければ今の世界が今の状態を保っていなかったかも知れないのも確かだ。

すかし、マッチョ嫌いの僕にはすこしキツい所があるのんだな。。。。そして、中東系イスラエル人も同じマッチョ感があるのだよ。。。ああアーメン。。。

”郷に入れば郷に従え”と申しますが、僕はこの場合”反面教師”と言う言葉をチョイスしたいと思っております☆

文句ばっかり言うてもしゃあないねんけど、文句も言いたくなるぜいっぜい☆

アーメン。


ありがとう
So



2012年7月25日水曜日

近況。


おしっこをしました。

手を洗いました。

トイレのドアノブがあります。

おしっこをして手を洗わない人は世界にたくさんいます。

だとしたら、きっとトイレのドアノブは汚い。

出るにはこの”きっと汚いドアノブ”を握らなければならない。

そして、僕は思う。

何でウエスタン映画のBarみたいな両開きのおすタイプにせえへんの??

もしくは外に手を洗う所作らへんの??

も〜何で??

...................................................................とね。






大きな地図で見る


今後のシリア情勢によってイスラエル軍が動き出す!?

去年アラブ世界で起った『アラブの春』がどれだけ民主的かつ平和的な政府を生むかについてまだまだ見えない部分が多くあり。
そんな中にあって革命の勢いからイケイケドンドンなイスラム原理主義を政治理念におく政府が増えれば増える程に”アラブの宿敵”として中東に唯一存在するイスラエルにとっては死活問題になって行き、これまたイケイケドンドンなイスラエルが自国防衛の為に先制攻撃を生む可能性が出て来ていてしまっている現状は中東の安定は西洋社会には出来ない事を証明している様に僕には写っている。








そして、現在火薬庫となっているのがシリア内戦(政府軍と反政府軍の戦闘)であり、化学兵器を所持している政府軍が反政府軍に倒され化学兵器が反政府軍に渡る場合や、内戦のドサクサにまぎれて反イスラエル武装組織に渡る場合をイスラエルは大きく大きく問題視しており、政府軍が倒され一発でもイスラエル側に攻撃が加えられた場合は自国防衛としてシリアを攻撃するのではないかとイスラエル国内では言われている。



これには伏線があり、つい先週ブルガリアでイスラエル人旅行者を狙った自爆攻撃があり7人の死者と多数の重軽傷者を出した事件や、最近世界各国でイスラエル人旅行者を狙ったと思われる攻撃が相次いでいる事がイスラエル人の恐怖心と防衛心に火をつけている。






イスラエル政府には革命が起ったばかりのアラブ諸国が一致団結する前に"先手"を打ちアラブ諸国の団結を阻止したい思惑もある事が伺える。




最後に、どんなに小規模な戦闘でも人も自然も傷つき死んで行く事を忘れては行けない。

だけど、人は時としてそんな事全く気にもしない。

そして、自分の尻すら見えない人間は人の尻を遠くから見てあれこれ言う。

そんな人間の言う事なんて自分の尻を見れる人間にとっては無でしかない。

その尻が真っ黒けっけで嘘で汚れていても。

そんなんじゃ変わらない。

抗議はファッションじゃないんや。










So matsuzawa

2012年7月18日水曜日

西洋から学ぶべきモノと学ばなくてもいいモノ。


みなさん、こにゃにゃちわ☆

本日のシルキン村はまったく暑くて暑くて外にでられないです。。。

イスラエルの夏は始まりが早く、終わるのが遅いと言う激夏国で毎年死にそうになっております。。。。。。あつ〜〜〜。。。。。



日本では原発反対運動が大飯原発再稼働を端に急速にデモの参加者が増え、国内の原発反対支持者のみなさんの直接的行動が見られ国外から微力ながら参加している僕も大変期待を持って見ています。

最近のデモ行進のやり方は西洋式と言うか、クラウンや音楽隊がデモを盛り上げその中で声高々に抗議すると言うやり方は、ドイツの緑の党やヒッピームーブメントから始まったデモの方法と同じで、非暴力であり気軽に個人でデモに参加できる方法をとっているのが特徴的だと思います。


この西洋から学んだ非暴力デモと言うのは体制を動かす一番の直接的方法であり、持続性がある素晴らしいデモの形だと僕も皆さんと同様に思っています。


参加者を増やし、各地で非暴力デモの輪を広げて行けば体制は動かざる負えない様になるでしょう。

その日に向かって今”僕達が歩んでいる現実”は、未来を変える重要な要素でありそれを持続して行く必要が僕たちにはあると思っております。



かし、悲しいけど体制はそう簡単には動かない。
国民の4/1が去年の夏中、繰り広げたイスラエル史上最大の経済対策を求める非暴力デモに対してもイスラエル政府は結局、経済政策に手をくわえなかった現実を僕は目の当りにした。 
しかし、イスラエル国民は今年もデモを各地で繰り広げている。
イスラエル史上最大の経済対策を求める非暴力デモに関しては前回の記事を参照ください。

中々動かない体制に対して憤懣が溜まり、政府側の人間に対して怒りや嘆きなどの気持ちが芽生える事は、人間として当たり前の精神状態と言えるでしょう。

そして、一連の反大飯原発再稼働反対大規模デモを経験した後の変わらない現実から、この様な気持ちになるのは僕だってみなさんと同じだけども、一般の警察官や一般の公務員に対してのネガティブキャンペーンを繰り広げる事に関しては、僕は違うと思っています。

西洋ではネガティブキャンペーンを本気・ジョークとして、プロパガンダ的に使われる事が多く一定の効果も生まれてますが、それは西洋文化の上でのネガティブキャンペーンに対してある、理解があってこそ成り立っているんです。

しかし、西洋文化とはほど遠い僕ら現代東洋文化圏の人間にはネガティブキャンペーンは、攻撃的な憤懣のはけ口に成りうるのではないかと言う意味で、僕は一般の警察官や一般の公務員へのネガティブキャンペーンは西洋から学ばなくてもいいモノだと思っています。




一般の警察官や一般の公務員が、体制側につくのは全く持って当たり前です。

彼らにとって体制に楯突く事は不正でしかありません。

楯突く理由がどんだけ正義に満ちあふれていても、悪に満ちあふれていても彼らの居る状況下では、悲しいけどそれは不正でしかないのです。

それを否定する権利は、僕たちに全くありません。

不正をおかすには大変な勇気が要ります。この不景気に職を失う様な大きな、大きな決断です。

だからこそ僕らは、僕たちの行動を持って彼らの背中を押す事しかできないのではないでしょうか?

それが東洋文化に合ったデモのやり方ではないでしょうか??

何もすべて西洋から学ばなくても僕ら東洋人にもすばらしい文化があるじゃないですか。



最後に、もちろん体制側が著しい妨害行為や著しい暴力行動に出た場合は違う話になりますが、現時点では著しい妨害行為や著しい暴力行動に出ているとは言えないと僕は思いますが、この感覚についてはそれぞれの意見があると思うので断定はできませんので個人的意見でしかありません。




ありがとう。

SO


2012年7月15日日曜日

悲劇






夜、テルアビブにて行われた政府に対するデモ行進中に参加者の男性が焼身自殺未遂を起こす事件がありました。 

物価の高騰が続くイスラエルでは、政府に対して積もりに積もった憤懣がテレアビブを中心にイスラエル国内で広まって行き、去年の夏頃からイスラエル史上最大の大規模デモに発展して行きましたが、結局イスラエル政府は具体的な解決策を出さず国民に対して目くらまし的に、5年間パレスチナに拉致されてい24歳の男性兵士をイスラエル側にいる1000人のパレスチナ人受刑者と引き換えに救出し、煙に巻いただけでした。

しかし、この様な政府の国民に対する卑怯な対応が昨夜の悲劇を生みました。

イスラエルでの生活は全く楽ではありません、高騰する家賃に対して収入が釣り合わずいつも生活をどうするかと言う思いが頭を過ります。

それはこの国に住む全ての人が共有している現実です。

それを、見てみぬふりして来たイスラエル政府の動向に僕はこの夏は注目して行きたいと思っています。


そして、もう一つ悲しい事はこの悲劇に対して反イスラエルのパレスチナ人の中には『お前達の悪行のツケが回って来たんだ、彼は社会が生んだ被害者ではなく、自業自得だ!!』何て悲しい事を言う輩がいる事です。。。

たしかに、イスラエル政府・軍はパレスチナに対して卑劣な行為を毎日毎日繰り返し続けています。それは確かな事実ですが、すべてのイスラエル人がそんな卑劣な行為を容認し応援している訳はありません。

このデモに参加している人の中にも反戦的思想を持っている人がたくさんいます。これも確かな事実です。

憎しみは人の理性を奪い愛を奪います。その負の連鎖はすぐには止まらないようです。。。。。

この国にいて一番悲しい事は、正義と悪があまりにも至近距離で重なり合っいて時に何も感じない人形の様な気分になることです。

口で言う平和ほど簡単な平和はない。。。。。


So



2012年7月6日金曜日

もう入植地 完結編にしたい!!


ついに、完結編です☆

何の事やとお思いの方はパート1と パート2 をご参照くださいまっせーーーーー。





成人男性皆がマシンガンを背負っている異常な光景が広がる入植地へやって来た僕とドキュメンタリー映画を撮っている友人のヤン、小さい谷を挟んだ反対側の村ではパレスチナ人とイスラエル人・外国人活動家による入植地に対する反対デモのデモ隊がイスラエル軍と対峙している.............






では、入植者へのインタビューです。

今回の目的は10代の入植者の子供達へのインタビューがメインなので、まずはその母親へ友人のディレクターが説明を兼ねたオフレコのインタビューから始まりました。


彼女はもともと入植者ではなく、カナダ生まれの宗教的な*ユダヤ人 で10代の頃にイスラエルへ移り住み結婚を期にこの入植地へやって来た入植者で彼女の夫はこの入植地で生まれ育ったと言う事でした。





*ユダヤ人
イスラエルのすべての国民が宗教的なユダヤ人と言う訳ではありません。
宗教に対する感覚は日本人が持つ宗教観に似ている、もしくはそれ以下の宗教観しかない人は大変沢山います。
現代イスラエルを構成している国民の宗教観は、全体的には高いとは言えないと思います。
しかし、オーソドックス・ジューイッシュと呼ばれる宗教色の強いユダヤ教徒が見た目的にも目立つ為に、イスラエル=宗教国と言う様なイメージですが。
実際、エルサレム以外の都市の殆どではそんな事ないです。

ちなみに、オーソドックスのユダヤ教徒はイスラエル政府の存在を宗教的な理由から認めておらず、全てのイスラエル人に科せられる兵役を拒否しています。しかし経済的余裕のないオーソドックスの中には政府から金銭的援助を受けていると言う矛盾があり、この問題も以前からイスラエルでは事あるごとに問題に上がっています。

そして、今回の入植地に住む多くの人はオーソドックス・ジューイッシュとは違い一般のイスラエル人と殆ど見た目的な変わりもなく兵役にも積極的に参加する敬虔なユダヤ教徒である宗教者の住む入植地で、多くの入植地がこの様なグループのユダヤ教徒が住む入植地である。






僕たちはまず、自己紹介と世間話をしゆっくりと入植地問題やパレスチナ人に対する感情についての話を進めて行きました。

その中で僕が一番印象に残っているのは、『なぜ、国連が定めたグリーンラインからパレスチナに食い込んだ、この場所ではなくてはならないのか?またなぜ入植地が和平交渉の弊害になっているのに移住が出来ないのか?』と言う彼女へ質問に対して答えた時でした。

『まず、この土地はイスラエル政府によって許可を得て長い年月を懸けて作り上げた場所であり何ら違法性のない入植地であること。そして、この長い年月と命を懸けて作り上げたこの入植地の住民の仲は、単なるお隣さんではなく大きな家族の一部と言う感覚が私達にはあるんです。なので、誰かが結婚すれば入植地全体でお祝いします。入植地の誰かが助けを必要としている時には全員が助けを差し伸べます。そして、この土地に対しても同様に強い絆を感じています。だから、私達はこの土地から離れる事はありません。』

とても穏やかな口調で彼女はそう答えた。

そして、彼女は僕らにこう質問して来た。
『あなた達は自分の故郷から簡単に去る事ができますか?』


僕はこの質問を受けて、瞬間的に色々考えた。

『思い出の詰まった土地をそう簡単に捨てる事は出来ないかも知れない.........嫌、きっとできない。』
『でも、もし僕の故郷がもともとは誰かの土地でそれが元で大きな問題が生まれ解決の道が見えないのなら、思い出の詰まった土地ですら捨てなければならないのかもしれない......にしても苦しい決断になるやろうな........』
『即答できる問題ではないな...』



ヤンも少しだまり込み、その後『自分が住み続ける事で苦しむ人がいるならきっと僕は移住します。去る時の心は穏やかではないかもしれませんが。。。。。』



人が住み慣れた土地を離れるのは宗教的・政治的な問題云々よりも感情的な問題が一番なんだとその時に僕は再確認したのと同時に、ある種当事者ではない外国人活動家が決めつけ的に反入植地の立場を取り罵倒する状況にも少し違和感を感じた。




そして、その後も彼女と彼女の娘とその友達達が集まるまでの間話を続け、娘の友達が集まってからは場所を近くの泉に移してインタビューを始めた。







入植地生まれの高校生達。





彼らの入植地に対する愛はすごく強く、全員が『結婚したらこの場所に家を建て子供を作り育てるのが夢なんです』と僕たちに語って来る程だった。


『誰もが自分の生まれた土地に対して愛着と尊敬を持つ様に、僕たちもこの土地に愛着と尊敬を持っています。たとえその土地が国際法違反の入植地だ!!何て左翼の人間や外国人やパレスチナ人に言われても、イスラエルの法律ではこの村は合法な村なんです。だから、僕らはこの土地から去る必要は全くないんです。デモが始まる前は村の人間とパレスチナ人との友好な交流だってあったんです。それがイスラエル人の左翼や外国人活動家がパレスチナ人をけしかけてデモを初めてから村の周りのパレスチナ人は僕らに対立し始め、石を投げ始め、この僕らのモノに火をつけたりし始めたんだ。』興奮気味に少年の一人がそう語った。


『僕らはパレスチナ人と共存できると思っています。もし、彼らが石を投げるのを止め、火をつけるなどの暴力行為を止める事ができるのなら。それに、入植地に対して抗議したいのなら裁判所を通すなり非暴力の抗議方法があるはずです......。暴力的な抗議をしていてはいつまでも分かり合える事はありません.....。』冷静に違う少年がそう語る。


ヤンは『パレスチナ人デモ隊に対してのイスラエル軍の対応はどう思うかな?催涙ガスやサウンドボム(大音量の音出すだけの小型爆弾)などでの対応のこと何だけど、そして去年それで死者が出ているんだけど......。』


少年『その事は知っています。悲しい事件だけど、イスラエル軍の対応は間違っていないと思います。デモ隊に対して然るべき対応をしているだけだと思います.........。』





少年達は『パレスチナ人と共存する事は可能だ』と言う。


それが出来れば何て素晴らしい事だと思うし、実際にイスラエル国内のパレスチナ人村では対話と交流によってイスラエルと共存出来ている村もある。

しかし、自由と権利を持つイスラエル側に住むパレスチナ人とは違い自由度の少ないパレスチナのパレスチナ人にとっては、イスラエル人はいつまで俺たちを苦しめるのか?なぜ自分達の土地を奪い続けるのか?と言う疑問と憎しみを生む対象でしかないのかもしれない。

すくなくとも、そう思ってしまう環境がイスラエル政府によって、彼らパレスチナ人の毎日を取り巻いている事実がある。

アイデンティティを奪い、入植地を建設し土地を奪い、検問所を各地に作りパレスチナ人のパレスチナ内での移動を制限する環境を作りパレスチナ人の身と心を傷付けている。



入植地の少年達が言う、話し合えればきっと解決すると言う主張はアイデンティティも、土地も、パレスチナ人同士の交流も奪われたパレスチナ人にとっては夢もの語りなのかもしれない。


人が対話できる時は、双方が同じ環境条件化にいる時だけだろう。


話し合いを持つ時、双方が同じ環境条件にいなくては到底平等な打開策など生まれない。


そして、今パレスチナに住むパレスチナ人とイスラエル人との間の環境条件の格差はひどく、対話ができる状態ではない。


パレスチナ人も石を投げるのを止めるべきだろう、外国人活動家もイスラエル軍を挑発する行為を止めるべきだろう、そしてまず、イスラエル軍は過剰暴力的な防衛を即座に止めるべきだろう。


全員が変わらなければ、話し合いの必要条件である双方の環境条件の均等は作り上げれない。


簡単に変われる様な問題ではない、時間が経ち複雑になり過ぎたのかも知れない。

だけど、変わらなければならない問題だ。

そして、いくら時間がかかっても変えなくてはならない問題だ。







『地球の友達は一体いつになったら一緒に暮らす事ができるのだろう?』


ありがとう。

So












2012年6月23日土曜日

入植地 パート2。


突然の眠気により前回の記事はタイトルに『入植地』と書きながら入植地にたどり着く前に『ふわっ』とした感じで終わると言うスタイルを貫いてしまいました。

前回記事

どうも、僕です。Soですが。





黄色一色に塗られたパレスチナの乗り合いタクシーに乗り、入植地◯◯へ。
もちろん、パレスチナの乗り合いタクシーなのでイスラエルの入植地までは行かない、途中からは歩いてイスラエルの入植地に僕とヤンは入って行った。。。。



イスラエル最大の都市『テレアビブ』への道を示す道路標識を見ると、今いる場所がパレスチナである事を感じられなくなってしまうが、僕がいる場所は完全にグリーンラインに食い込んだ場所でパレスチナのだ。


入植地はパレスチナ人から土地を奪い、入植地を結ぶ道路はパレスチナの街と街とを分断するかの様に作られパレスチナ人の交流を奪っている。


そして、この様な物理的な攻撃はパレスチナ人の心を傷付け続けている。





イスラエル・パレスチナ間の和平交渉において入植地問題は東エルサレム問題と同様に和平の道への最重要課題であり、両者の主張がもっとも噛み合ない問題である。





。。。。。。。入植地は有刺鉄線がまかれた柵で囲まれ入り口のゲートは軍と銃で武装した入植地住民によって守られていた。

ゲートに着いた僕らは門番に事情を説明し、取材先の家族に連絡をし迎えを待った。

その間僕は少し門番の男性と世間話をしてみる事にした。

正直、僕は入植者はガチガチの宗教者で外国人が入植地を訪れる事すら嫌う難しい国粋主義者だと思っていた。


僕『こんにちは』
門番『こんにちは』
僕『ここにはどの位の人がすんでいるんですか』
門番『200家族ぐらいかな』
僕『結構いるんですね、門番は住民内で交代でするんですか』
門番『そうですよ、週末は交代で門番してるんですよ』

.........終止笑顔での対応。

おおっと、怖い人と思ったけどちゃうな。。。。。


そんな事を思っていると迎えがきたので、迎えの車に乗り取材先の家族の家へと向かった。



取材を受けてくれた家族は40代後半の父母と20代の息子3人、高校生の娘1人の6人家族。
息子達は結婚している者と兵役中の者がおり、家には週末のみ帰ってくるだけだと言う。

今回の取材の目的は10代の入植地住民のインタビューを撮影する事だったので主に高校生の娘とその友達を中心に撮影をしたのですが、その前に彼女の両親に取材の意図を伝え撮影の許可と入植地問題の話をしようと思い、僕らはお茶をしながら庭で話を始めた。



突然ですが、医者に行くのでまた続きは今度書きます。
申し訳ない。。。

So






2012年6月17日日曜日

入植地。パートいち。


みなさん。

暑いですね。もう暑いったらないですね。

先日、日本の友人に僕の家は石作りでいくら外が暑くたって中はヒンヤリしてて、去年の夏は扇風機すら使わんかったで!!何て事を言ってやりました。

が、昨夜は風のない熱帯夜だったこともあり、寝苦しいったらありゃしない。

『地球ってこんなに空気薄かったっけ?』

『ねえおじいさん教えてよ?』

『アルムの森の木教えてよ?』

『ららららら〜。』

とまあ返事もないので水シャワーを2度浴びやっと眠りに着きましたとさ。

『ねえ!!夏ってこんなに暑かったっけ!!』

アホの僕は毎年思っています。。。。。




とまあ、暑さに文句をつけたくなる季節ですが、昨日の僕はマジメにジャーナリズムに従事して参りました。


というのも、先々日に仲間のベルギー人ジャーナリストから『明日パレスチナ内にあるイスラエル人の入植地の取材でOOと言う入植地に行く事になったんだけどSO明日よかったらカメラマンとして来てくれないか??』と言うオファーを頂きました。

二つ返事で僕は『ええよ行くわ。』と返事し、学校終わりにそのままパレスチナの暫定首都である”ラマッラ”にある仲間の住む家へと向かいました。

現在パレスチナのラマッラでは至る所でマンションや多目的ビルなどの建物の工事が行われており、また街の中心では多くの商店が立ち並び ”アラブ的な今時” な若者達や家族連れでとても賑やかな街の表情があり、恐らくみなさんの思うパレスチナのイメージとはかなり違う表情を見せています。

そして、唯一パレスチナ人だけで構成されている大都市でもあり、イスラエル内にあるイスラエル人も立ち寄れるアラブ人街とは全く違う雰囲気を思っていて、イスラエルを地元としている僕は少し海外にでも来た様な気持ちになってしまいます。



とまあ、エルサレムのアラブ人街からバスに乗り途中イスラエルのチェックポイントを通りながら約40分程でラマッラに着き、家の場所を聞く為に仲間に電話をしてみました。

僕『着いたよ、家どこ?』

ヤン『今ご飯作ってるからタクシーで来てよ10シェケル(約250円)位やから。家はOOOO・ホテルの近くでこのホテルは皆知ってるからすぐ分かるわ。』

僕『待って!!何て言うホテルの名前??マザンビーク・ホテル??』
何故僕が分からなかったかと言うと、彼の英語のアクセントがもうエゲツナイ程きつく全く分からない時があり、大事なホテル名がその全く分からんアクセントの時にガッツリ当たってしまったのだ。。。。

ヤン『モザンビークじゃないよ、OOOOだよ』
僕『え?ごめんヤン、全然分からん。もう一回言うて。』

このやり取りが5・6回続き、それでも理解し得ない僕らでしたが、ヤンが突然!!





ヤン『M・O・V・A・M  B・I・T・C・H ホテル』とアルファベットでの説明をしてきたのです!!



僕は何で最初から僕らはこの方法を取らなかったのか?と自分のアホさを笑いながら復唱し、ビッチって無茶苦茶な名前やなと思いながらも黄色一色で塗り固められたパレスチナタクシーを止めドライバーに『モバム・ビッチホテルまでお願いします。』と告げ、10分程で中々大きく派手にライトアップされたモバム・ビッチホテルに着き、僕はホテルの全体を見ようと正面に周り建物を見上げるとそこには。。。。。。

















モベン・ピック........................



全然ちゃいますやん!! ビッチちゃいますやん!!






.........................................................と、言う事があったんやて。







ちなみにこのホテルでは最高の思い出を作れるウエディング・パティーや友達を見つけれるバーや最高のイタリアン料理が味わえるそうです。


とまあ、仲間の家に着くとまあ家がデカイ。

家には数人の若手ジャーナリストや活動家が住みパレスチナを守る活動をしており、家の家賃はパレスチナを支援するヨーロッパのウェブサイトが得た寄付金から支払われ、その代わりに彼らはウェブサイトが求める取材などをしてギブ&テイクによって成り立っている。

ヨーロッパやアメリカではパレスチナ問題は大きく取り上げられ、活動家やジャーナリストがエルサレムやパレスチナにわんさかいる。そして、ほぼ100%は何かしらの団体に所属してイスラエルに対しての抗議活動などをしている。その活動費は所属する団体が得た寄付金などによって賄われていたり、活動家の自費である。


人の為に何かすると言う事は、体力・メンタル的に簡単ではないと本気の活動家を見ると思い尊敬してしまう。





突然ですが眠くて頭が回らないので、続きはまたパート2で書きたいと思います。



ごめん。

So matsuzawa







2012年6月8日金曜日

タフな試合です。



最近タフな毎日が続き、自前の精神力を再確認させられる日が続いております。。。

結果から言うと、ええ線行ってるけどまだまだです。。。

学校の課題や経済的圧迫感は僕に挑戦状を常に突き出してきますが、気にしては持たないのは分かっているので無視しています。

僕は僕の弱い部分を無視すると言う技を編み出しましたのさ。

これが中々、役にたつ技なんです!!

基本的に”不安”的なもんは、賞味期限の短い無形の”想像”に過ぎないので放っておいても全く害はなくむしろ放っておく方がええんです。

それに、働けば金は入るし。

がんばれば、課題の作品だって期限内にできる事は分かっているし、僕はできるので大丈夫なんだと冷静な時には思える事が、常に頭の片隅に置ける様になったので放っておいて良いんです!!

ただ、あたくしもまだまだ若造ですから時には落ち込むしイライラしてしまいます。。。

今日はヒサビサにゆっくりできるw

火曜日の松澤聡VJ童貞卒業記念祭と自称している、イベントを仲間とやるので今日はそのVJの元ネタを集めたいと思います★

あでぃおす 友達。

マーク松澤。










2012年5月10日木曜日

タラタラたんたたん。


 タラタラたんたたんっ。

 タラタラたんたたんっタッタ。

 もう、このリズムでおわかりですね。




『菊次郎の夏』

最近、北野武作品を見直してるんですが、一言ですがこの作品は『良いとこかなり良いです。』

少し、お笑いと映像美に走っている部分は残念ですが、そこを差し引いても間だったりが良くて心地ちいい気持ちにさせてくれます。

と言う事で是非あなた様も一度っ☆


ちなみに、授業の一環でテレアビブのドキュメンタリー映画祭で昨日見た

『Back to the square』

と言う、こないだのエジプト革命での出来事を描いた作品は、

あの革命はエジプト国民にとって一体何であったのかと言う事と

テレビからの情報を信じ切っている僕たちの責任を考えさせられ

映画を見た後から何か不思議な感覚を感じさせられる作品でした。


今の所、日本での公開予定はないそうですが来年の日本の山形で開催されるドキュメンタリー映画祭に出品されるかも(監督談)らしいので

もし、機会があれば是非。





そんなこんなで、毎日ドキュメンタリーからビデオアートまで映像に囲まれながら学生生活を謳歌というか宿題に追われながら過ごしている、どうも僕です松澤聡です。




なかなか、長い前置きをみなさんにかました所で本題に入ります。


一昨日、学校から帰るバスで同じクラスの女の子と一緒になり話しながらバスにゆられていたんですが、恋愛の話になり彼女が突然。。。。。。。






『SOってバイセクシャルだよね??』とマジ顔で聞く彼女。





バイセクシャルの意味を知らない方に説明しますと、男も女も性の対象に入る人の事をバイセクシャルと言うのです。


完全に誤解なんですが、僕が一学期の始めにレズビアンについてのドキュメンタリー短編映画を見た時に、『レズビアンだとかゲイだとかはもう一般的にするべきであって、そんな事は作品の柱になるような重要な事ではないんじゃないか?』とレズビアンやゲイを特別視する傾向に疑問を感じると言うことを皆の前で言うた事があったんです。


それが『まっちゃんバイセクシャル疑惑』の発端だったらしく、そして学校では大概ゲイの同級生も混じっているグループで過ごしているので『まっちゃんバイセクシャル疑惑』を後押しする結果になっておりましたとさ。


まあ正直、悪い事では全くないので僕は気にしないので別にいいんですけどねwww



そして、本日アメリカさんの長であるオバマ大統領が同性結婚を容認する発言をしたそうですが、是はアメリカの属国道まっしぐらの日本も学んでほしい所です。


カミングアウトしても驚かない社会ができる様に僕は微力ながら力を貸したいと思っております☆



ゲイもレズもみんな心優しい僕らの仲間さ☆



ありがー10!!
SO


























2012年4月30日月曜日

Oh Yeahhhhh.











イスラエルにはJAPと言うスラングがあるそうです。



もちろん『ふぁっきん、じゃっぷぐらい分かるよこの野郎』的なものではなく、



Jewish American Princess. ユダヤ系アメリカ人のお姫様てな意味。



なぜこんな事を言うかと言うと夏に成るとここイスラエルはアメリカ人を筆頭に世界中からユダヤ系の人たちがサマーホリデーを過ごす為に訪れるんです。



  そして、あの大きな遊園地ことアメリカさんは少年少女をイスラエルに送ってくるんですが、まあこのアメリカんキッズ達のテンションはイスラエル人をも凌ぐ、アガリップリッ☆ここぞと騒ぐ騒ぐ。。。


まじかっと思ってしまうほどのアメリカンエンターテイメント的な大声と動きをイスラエルで披露するアメリカさん。

もう、『おーいぇー』って言いそうになります。


そんなアメリカさんを指す言葉としてのJAPと言うスラングがあるんですね。


日本にいる頃はアメリカさんが唯一の外国と思っいてアメリカさんが外国の基準だなんて思い込んでいましたが、海外に出て生活するとアメリカさんはどこでも結構浮いている事に気付きます。



我が半端なく強く、俺たちがイケてるリーダーだぜバリにメジャーリーグの帽子を横にかぶっただけの感じで主張するアメリカさんは浮いちゃうんです。


過信は怖いなーって思います。。。。



もちろん、ええアメリカ人もおりまっせ。

僕の親戚のアメリカさんはでっかい体でちっちゃい携帯を片手に流暢な日本語で『男ならお酒飲まなきゃ駄目だよー、仕事で苦労するよー。』と優しい言葉をかけてくれました。


世界にはいろいろな文化があって一番いい文化何てもんは無いんです。


僕は好きでも君は嫌いかも知れない。


それでええやないの。


トダ。

アラブの市場で買った携帯が壊れたので契約している携帯会社で新しい携帯を買いに行って来ます。ははっもちろんノンスマートフォンを買うつもりです☆


so














2012年4月29日日曜日

ハジメテノ。



まだ微妙に寒いエルサレムに住む僕は、テレアビブで3000円弱で買った羽毛布団に包まれながら寝ています。

...........と言うのは過去の話。 

昨夜、暑くてパジャマを脱ぎ捨て布団をぶっ飛ばしました。



ウェルカム夏。

アディオス冬。



と言う訳で、ここにちわ。



海外生活で一番外国人が気にする事って何でしょう?

言語?? 嫌違う。

仕事?? 嫌違う。

友達?? 嫌違う。

犯罪に巻き込まれない事?? 嫌違う。





そうっ!! それは!!     歯医者に行かない様にする事なんです!!!!!




なぜかっ!!??



『保険が利かないから高い!!』『技術が無い!!』etc..


とにかく、行かないにこした事はないっと言う事だけ分かって頂きたい....。






しかしっ!!??

歯が痛くて痛くてたまらなかった僕。

おそらくここだろう、といじくりまくっていたら銀の詰め物が取れてしまった僕。

銀の詰め物が取れてから歯に詰まりまくる食材と言う食材達と、戦う僕。

爪楊枝なくしては生きて行けないのかと、落ち込む僕。

痛い。 冷たいモノもあたたかいモノも僕を痛め付けて来る......。



そんな僕を見てお玉さんは『オイっチキン野郎、良い歯医者を知ってるゼ』とグイグイ勧めて来る。。。


そして、日本を出る時に日本の歯医者さんが言った『イスラエル行くんか、イスラエルは歯の分野では有名やでっ』と言う言葉が過る。。。



もう行くしかない。 あたい行くしかない。 怖く何かないっ!!!!!




小綺麗な院内。 


サハリン(樺太)出身だと言うロシア系イスラエル人の助手のおばはん。

歯医者のオーラなしのおっさん歯医者。




『抜かずになおすさ、俺に任せておけ』とチェックも足早に麻酔をぶち込む歯医者。



息なりの麻酔に若干動揺を隠せない僕。




『日本ってそんな息なり麻酔打たんよな...........大丈夫か???』



そして、次の瞬間に僕はイスラエルと日本の違いを見ました。


歯を削るおっさん歯医者の顔がやたらと僕に近く、そして削る時に飛び散るなかなか大量の水が、マスクだけのおっさん歯医者の顔にウォータースライダーばりの勢いでブッ掛かっているにも関わらず、気にもしないおっさん歯医者。


も〜アグレッシブ〜。


水が滴るおっさん歯医者の顔だけみると『井戸でも彫ってんじゃねえか』と思ってしまう程でした。


そして、

何らかの虫歯に効く薬をぶち込み、埋めた後に

おっさん歯医者は『もう一回来てよ、今回分のお金はいらんわ。』


..............ありがとう。


なぞのワイルドさで僕の虫歯を治してくれたおっさん歯医者。


そして、治療中日本には天然資源がないと力説するサハリン出身のおばはん助手。


もう一度、ありがとう。


お玉さん曰く次の治療は5000円くらいで良いんじゃないって事です。



そこのちびっ子達。


歯は大切にしなさいよ。



トダ。